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2025年07月17日

死は避けられない。生存することではなく如何に生きるかにこそ意味がある。

参政党の次の政策が論議をよんでいる。
・本人の意思を尊重し、医師の法的リスクを回避するための尊厳死法制を整備。
・事前指示書やPOLST(生命維持治療に関する医師の指示書)で、医師が即座に心の負担なく適切な判断ができるプロセスを徹底。
・終末期の点滴や人工呼吸器管理等延命治療が保険点数化されている診療報酬制度の見直し。
・終末期の延命措置医療費の全額自己負担化。

社会保険料を下げる為の方法としてでてきた政策である。これに対しては寝たきり老人には生きる価値がないのか、という根強い反対意見がある。

医療費の大幅な増加が社会保障財政を危機に追いこんでいることは事実である。しかし、財政上の問題だけで寝たきり老人を切り捨てるの問題である。

どんなに健康に気をつけていても人は必ず死ぬ。これは避けられない運命である。とすれば命そのものを絶対的な価値とすることは無意味である。

短命であるとか長生きであるとかに優劣は無い。その人生を如何に充実して生きるかに価値がある。誰でも必ず死ぬ運命の中で如何に生きるかということが最も重要なことである。とすれば本人が望まないにも関わらずいたずらに延命措置をすることは、人生の終末を汚す行為である。本人の意思による尊厳死は必要である。


本人が意思表示できない状態にある場合は医療費を支払っている親族に判断を委ねるべきである。改善する見込みもなく意識も無い寝たきりの患者については、もはや人生を豊かに生きているとは言えない。患者が現状のまま存在することを望んでいる者が治療費を負担し続けるか、尊厳死を選ぶかの選択権を持つことは何らおかしいことではない。

そもそも治る見込みがなく、人生を楽しむ何もできないし状況では、生きているとは言えない。





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posted by ドクター国松 at 09:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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