8月になると原爆記念日や終戦記念日と記念行事が続きマスコミ等を通じ戦争について語られることが多
い。しかし、現在そのことがどれだけ国民の心に響き浸透しているのかはなはだ疑問である。
い。しかし、現在そのことがどれだけ国民の心に響き浸透しているのかはなはだ疑問である。
マスコミ等で戦争が話題として取り上げられる場合、その中身のほとんどは戦争の悲惨さである。悲惨な戦争は二度とおこさない、という主張に導きたいのだろうが、それでは全く響いてこない。
戦争の悲惨なのは誰でも知っている。しかし、同時に今でも多くの国で戦争が行われていることもまた、誰もが知っている。日本国民が知っておくべきことは、第二次大戦前夜日本の不利益を最小限に留めつつ、戦争を回避するどんな選択肢があったのかという検証である。
戦争以外に日本のとるべき道がなかったのだとすれば、戦争の悲惨さをいくら説いても、戦争は回避できな
い。
い。
それは、日本の未来にとっても同様である。常に様々な選択肢を探し、何を選ぶべきか冷静に選択できる国
民性がないと、日本が戦争に巻き込まれる危険は決してなくならない。
特に中国や韓国が反日教育を行い、日本に対しては何をしても許されると考えるような国民を再生産しているようでは猶更である。
中国人が靖国神社に落書きをしたが、中国でも公共施設に対する落書きは許されることではないが、日本に対しては特に靖国神社に対してはそれは正しい行為として評価さえされている。
悪いのは日本であり、落書きされて反省すべきは日本だというのである。こんな考えをする若者が大量生産されている国が隣国にある現実を見れば、日本人だけが戦争の悲惨さを如何に強調しても戦争を防ぐことにはならない。
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