日本を代表する産業である自動車産業で数々の不正が発覚している。世界で日本の外貨稼ぎ頭である自動車産業への不信感が高まれば日本経済にとって大きなダメージで
ある。
これらの事件に対しては、風通しが悪く、法律よりも企業内部の風潮を重視する日本企業独特の体質が原因
であるが、もう一つの原因である官庁の無責任体質を忘れてはいけない。
官庁はどこでもそうだが、規制を定め企業に対しその規制を遵守するよう要求する。しかし、多くの場合規制内容は重箱の隅をつつくような内容となっており、コストや手間、事業面でその通り遵守するのが困難な内容となっている。
その結果企業側は融通をきかせてその規制をクリヤーすることになり、規制官庁はそれを薄々知りながらも問題が表面化しない限り、それを黙認することになる。
規制に対しては数年に一度の検査が実施されることも多いが、検査官の能力や不正発見意欲はそれほど高くなく、多くの場合はささいな不備を指摘するだけに留まり、大問題になるような大きな不備や不正が発見
されることはない。
日本のあらゆる分野で、実施困難、あるいはコストばかりかかる規制が大量につくられるのは、企業側がそ
の規制を回避する工夫を自主的に行い、規制官庁がそれを黙認しているからである。
今回のダイハツのケースでも規制の条件は満たしていなかったが、運行には問題ないとして比較的短期間にダイハツ車の製造再開が認められている。
なあなあ文化の日本では、官庁は現実的ではないが理論的には批判されない完璧な規制を作り、企業は実際的に運用可能なようにその規制を勝手に解釈して運用する。官庁はその企業の勝手な運用を問題が表面化しない限り黙認している。
企業の責任は勿論重大であるが、不必要で煩雑な規制を作る官庁の責任はより重い。
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