22日投開票の参院徳島・高知補選は、徳島、高知両県とも投票率が過去最低となった。両県の選挙管理委員会によると、徳島は23・92%、高知は40・75%だった。いずれも戦後の参院本選・補選を通じて最低を記録した。
民主主義の根本は選挙制度であり。主権者としての国民が投票で代表を選ぶことでその意思を政治に反映させることで実現する。
しかし、徳島のように7割以上の県民が意思表示をせず政治に参画しないとすれば、そこで選出された議員は民主主義的に選出された国民の代表と言えるだろうか。
民主主義は世界史的に見れば与えられたものではなく勝ち取ったものである。日本では勝ち取ったというより与えられたという歴史的経緯があるので国民の民主主義を守るという意識に乏しい。
民主主義制度はそもそも国民の間に大きな断裂や格差がないことを前提として成立した制度であるが、アメリカを始めヨーロッパでも格差の拡大や移民による宗教的・文化的な断裂が拡大し民主主義の基盤は崩れつつある。
日本においても格差が拡大しており、アメリカやヨーロッパよりはましだが民主主義の基盤は崩れつつある。
欧米以上に政治への不信感の強い日本で、投票行為への無関心が拡大すれば、20年後の単身貧困高齢者が多数を占める貧困日本では民主主義は存在しないかもしれない。
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>日本では勝ち取ったというより与えられたという歴史的経緯があるので国民の民主主義を守るという意識に乏しい。
その通り。
日本国に於ける支配者の交代劇は大日本帝国の敗戦という形で転がり込んだものです。
つまり、民衆の力で成し遂げた支配者の交代劇ではなく、予期しない形で起こった交代劇でした。
大日本帝国の国民は被支配者でした。しかし、日本国に於ける国民は支配者なのです。
国民主権は人々が望んで勝ち取ったものではなかったのですから、いまだに主権者意識が希薄なのです。
与えられた選択肢に不満があれば、投票に行って白票を投じるべきです。
白票を投じるということは、選択する意思があるが選択先が無かったことを意味します。
その意味ある行動の意味を理解しようとする人が現れれば、有権者の選択肢が広がって行くでしょう。
それが成熟した民主主義です。
【人民の、人民による、人民のための統治】
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【投票率と愛国心】
https://ewkefc.blog.fc2.com/blog-entry-992.html
【民主制が優れた統治体制というのは幻想】
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>しかし、徳島のように7割以上の県民が意思表示をせず政治に参画しないとすれば、そこで選出された議員は民主主義的に選出された国民の代表と言えるだろうか。
既得権を維持したい人たちは後援会などの組織を作り、特定の候補者に既得権の維持を託します。
投票率が低いということは、その組織の支援を得た候補者が圧倒的に有利となります。
日本国に於いて世襲議員が多い要因には、このような背景があります。