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2023年01月16日

建前に拘る日本社会

日本の社会では現実から遊離した建前に拘り、現実から目をそむけ判断をしようとしない責任逃れの弊害が目立つ。典型的な例が児童の臓器移植である。

法律を改正したが依然として児童の臓器移植はすすまない。大金を集め金で外国人の臓器を買っている、という好ましくない行動を黙認し、多額の善意の寄付金を集め海外で心臓移植を受けることが美談として語られ、制度の不備を放置している。

移植の前提として児童虐待がなかったこと、と決めることは一見正しいように見える。しかし、その判断を医療現場に丸投げすることで、官僚は建前を守り、責任逃れをはかる。

医師は後で責任追及されないように少しでも疑念があれば臓器摘出を断念せざるをえない。親もまた、児童虐待の疑惑を受けてまで子供の肉体を切り刻みたくはない。所詮助かるのは他人の命である。

いかにも尤もらしい、虐待された児童の臓器提供はできない、という建前が臓器提供を実質的に阻害している。

アメリカは、臓器移植で救える命であるならば、どのような状況で臓器が提供されることになったのかは問わないで、とにかく救うということを国の方針に立てた。

日本は虐待を隠すために臓器提供をさせないという、尤もらしい建前を守るために、多くの助かる命を犠牲にしている。

せめて、医師であれば誰でもできるような判断基準を整備すべき

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posted by ドクター国松 at 09:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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