ドラマやアニメの世界では真実は一つであるとか、正義は必ず勝つとか、努力すればなんでもできるとか、と語られることが多い。親もまた子供に対してはこのようなことを言いたがる。
しかし、現実は決してそうはならない。正義は必ず勝つのではなく相手より力がある場合だけ勝利することができる。自分が正義だと確信していても、勝つにはそれ相応の準備と力が必要なのである。
真実もまた一つではない。確かに事実は一つしかない。しかし真実というものはその事実を認識し皆がそれを信じて初めて真実となる。
多くの立場の違う人がいるところでは、それぞれが信じることが真実となり、複数の異なる真実が存在するのは普通のことである。
ウクライナ問題一つをとってみても、ロシア人の真実とウクライナ人の真実は異なる。ロシアが完全勝利すれば、ロシアの真実が世界の真実となる。
真実なんてものは誰にもわからない。日本と韓国で慰安婦や徴用工に対する見方が異なるように、誰もが納得しうる真実を提示することは不可能に近い。
神が真実を人間に提示したという歴史的な事例は無く。真実とは人々が信じることでしか真実足りえないことから、その事実を信じない勢力が存在する限り、その事実は真実にはなりえない。
その事実を真実にする為には、より多くの証拠を提示して説得しそれを信じる者を増やすか、信じようとしない者を抹殺し、それを真実と認める者を多数派にするしか方法はない。
また、努力すればなんでもできるという嘘も不幸な人間を生んでしまう元である。才能の無い者はどんなに努力しても才能のない分野で大成することはできない。これは厳然たる事実である。
多くの人間が才能の無い分野に固執し、人生の貴重な時間を無駄に浪費している。努力すればなんでもできると言う前に、自分や子供にどの分野の才能があるか、見つける為により多くの分野をかじってみるべきである。
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