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2021年05月13日

患者が生きることを希望せず、家族がそれを容認するなら安楽死を認めるべき

医師二人が嘱託殺人容疑で逮捕されている。現在日本では安楽死は認められていないが、これにより多くの患者と家族が不当な苦痛を受け続け不幸になっていることは否定できない。

現在の法体系は命は何よりも重要であり、その命は自然に任せるべきであり人為的にそれを縮めることは容認されていない。

しかし、人間にとってどんな状態であれ生きながらえることが価値のあることだろうか。人間はどんなに健康に気をつけていても必ず死ぬ。死ぬ運命を逃れられる者は一人もいない。

死が避けられないものとすれば、外から見れば人生の差は生きている期間の長短にすぎない。とすれば人生の価値は単に長生きすることではなく、如何に充実して生きるかということにある。

多くの人間にとって充実した人生とは、自らの思うように行動し楽しむことである。これができず動くこともできず、将来治る可能性もなく苦痛に襲われ続けるとしたら、そんな人生に意味を見出せる者はごく少数であり、大部分の凡人患者とその家族にとってそれは耐えられない不幸である。

この不幸に直面し、これ以上の苦痛に耐えられず死にたい患者と、患者の苦痛を日々目の当たりにし苦慮する家族に対し、それでも寿命がくるまで苦しみながら生き続けよと言うことは拷問以外の何物でもない。

そのような不幸な患者と家族を解放する為にも安楽死を認めることが望まれる。

人間にとって運命が命を奪うまでは、生き続けるということには何の価値もない。人生の価値は如何に充実した生き方をするかにこそ存在する。

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posted by ドクター国松 at 09:50 | Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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