難病のALSを患う京都市の女性が殺害されたとされる嘱託殺人事件が発生した。この犯人を擁護するつもりはないが、安楽死あるいは尊厳死と言われるものについて日本ではタブー視されているが、そろそろ真剣に考えるべき時期ではないだろうか。
日本では命は絶対視され、どんな状態であれ生きていることが善であり、本人であっても命を奪うことは絶対的な悪とされている。
しかし、単純に生きていることが絶対的な善あり、どんな場合においても死が悪であるという考えには疑問がある。
人は必ず死ぬ。この運命は誰にも避けられない。短いか長いかの別こそあれ、人間は最後には全員が悪に捕らわれことになる。
短命よりも長生きする方が絶対的に幸せであると断言することもできない。人生にとっては単に生存することよりも如何に生きていくかということがより重要である。
ALSは厳しい病気である。自分で何かすることはほとんど何もできなくなる。この状態でも人生に喜びを感じることのできる人は多く存在し、彼らに生きてほしいと願う人も多く存在する、そんな人は生きていけるし生きていくべきである。
しかし、ALSに限らないが、病気で体の自由を失い人生に希望を持てない者も少なからず存在する。他人が生きることを望みどんなに説得しても、本人にとっては生きる意味を見出せないことがある。
この場合、その人にとって残りの人生は生き地獄に他ならない。人は遅かれ早かれ必ず死に、人生の価値はその人が生きがいをもって生きられるか否かにかかっているとすれば、安楽死や尊厳死というものが許容されてもいいのではないだろうか。
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