ゴーン氏の日本の司法批判に対し、マスコミ等では日本の司法制度を擁護する意見が多く流されているが、日本の司法手続きが推定有罪の原則に基づき被疑者の人権を完全に無視していることは否定できない。
しかし、日本の司法を考える上では、これより大きな問題点がある。それは日本の法律は憲法から条例や規則・通達に至るまで現実離れしたものが多く、守れないか、守ったら社会が機能しないものが多すぎる。
その矛盾をどう処理しているかというと、一つの方法は拡大解釈や無理やりの曲解である。その典型は憲法で武力の保持を禁止しているにもかかわらず、自衛隊で武力を保持し、自衛の為の武力は憲法で禁じていないというような文言を無視した解釈である。
次に多いのが黙認と見せしめとしての摘発である。法律が守れないことは取締当局もわかっているから違反があっても通常は摘発しない。しかし、他から指摘されたり目立つようだと摘発する。これは当局の裁量で実施され法の下での平等は無視される。
今問題となっている河井議員の公職選挙法違反などはこの典型である。今どき日当15000円以内でウグイス嬢を雇うことは不可能であり、ほとんどの候補者が何らかの方法でそれを上回る金を渡しているが、たまたま問題視されたりたれこみされた者だけが罪に問われる。
身近なところでは交通違反のスピード制限が典型である。ほとんどの車は制限スピードを守っていないが摘発されることはない。たまたま運の悪い者だけがつかまることになる。
暴対法などもその一例である。きっちりと運用されれば暴力団員は誰も生活することはできない。それができているということは、捜査当局が平時はある程度法律違反を黙認し何か問題をおこした時にそれを理由に逮捕しているからである。
これらの法律の問題点は解釈や裁量権を官僚に委ねることで、官僚権力の原動力となっいることである。
今回決定した家庭での体罰禁止に対する法律などは、従来聖域であった家庭内のことにまで官僚が介入する機会を与えるという意味で将来に禍根を残すことは間違いない。
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