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2019年02月14日

一部の極端な事件に懲りて保護者による体罰禁止という極論に走る東京都の無能

東京都児童虐待防止条例案で、家庭内の体罰などの禁止に踏み込んだ条例案に盛り込まれた保護者による「子供の品位を傷つける罰」について、「肉体的、精神的苦痛を与える行為であって、子供の利益に反するもの」と定義し、都は暴言も含むとしている。

父親による子供の虐待死という事件を受けたものかもしれないが、「羹に懲りてなますを吹く」典型である。

体罰や暴言と一概に行っても、外部の人間が正当なしつけか暴力かを判断することは難しく、結果的に形式的なすべての行為を判断し禁止することになる。

いわゆるリベラリストの中にはどんな問題でも十分に話し合いさえすれば解決できると考えるものがいる。しかし、それは現実の人間というものと常時接触し肌感覚で知ることをせず、本で得た多識や理想論だけの頭でっかちな認識にすぎない。

こちらが武器を持たなければ攻撃されることはない、と盲信する頭お花畑の連中と同類である。

人間の本性をその時々の社会秩序に適応させるには、ある程度の強制力は不可欠である。実際のところ多くの都民からも指摘されているように、言葉で言うことを聞かない子供に対しては親は手の打ちようがなくなり、そのまま躾そのものを放棄せざるを得なくなる。

実際に既に学校においてすべての暴力を禁止された教師が、生徒の不適切な行為に対し何ら打つ手がなく、自らの地位を守る為に見て見ぬふりをしており、それが教育の荒廃を招いている。

ごく一部の特殊な事例を恐れるあまり、家庭全体に大きな制約を加えれば、家庭の崩壊と社会不適合な国民の大量生産を招きかねない。



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posted by ドクター国松 at 09:57 | Comment(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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