最近の世論の特徴として個人の自己責任を強調する主張の増加があげられる。国家財政に余裕がなくなり個人の為に税金を使うということに対する抵抗感がおおきくなっていることによるものと思われる。
シリアで人質になった安田さんの例などはその典型である。危険とわかっている地域にかってに入り人質になったのは自己責任であり国家が助ける必要はないという意見がネットては主流であった。
ジャーナリストが全員危険なところに行かなくなれば、日本は危険地域の情勢について海外メディアを通じてしか情報を得ることができなくなる。海外メディアは危険なところに行って情報を集めればいいが、日本人はダメというのではますます日本は情報弱者になる。安田氏のケースについては身代金を払うか否かは別問題として、自己責任として突き放すのはあきらかに間違っていた。
一方で、若いうちに余裕があるにもかかわらず年金をかけず貯蓄もせず、高齢になって生活ができないからと生活保護を受けるというのは許容しがたいが、実際はまかり通っている。これなどは自己責任として拒否すべきだろう。
しかし、若い時に努力したにもかかわらず、職につくことができず、老後に生活に困るとすれば、これを自己責任と突き放すことは政府の責任放棄である。
政府の責任とは個人の努力ではどうしようもない不可抗力から国民生活を可能な限り守り、病気等で働けない国民に対しては生活できるように援助し、健康な国民には働く場を確保できるように環境を整えることである。
怠け者が得をするような社会であってはならないが、何もかも自己責任と弱者を突き放すような世相は日本の衰退の現れである。
ゾウのような動物でさえ、弱者をかばい食事を与えて支えている。
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