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2018年11月07日

理想主義と博愛の時代から現実に追われる不寛容の時代へ

第二次世界大戦後、ヨーロッパの先進国を中心に環境や人種、人権、動物愛護等々の問題について理想主義的な意見が主流を占めてきた、

しかし、最近では理想主義がその輝きを失いつつあるように見える。人道主義の本拠地で従来は積極的に移民を受け入れてきたヨーロッパでも移民排斥運動がおきている。

アメリカにおいてもトランプ大統領に代表される一国主義が博愛主義にとって代わりつつある。

日本においても不幸な人や困っている人に手を差し伸べるという博愛主義よりも、自分のことは自分で解決すべきで他人や国を頼るべきでないとする自己責任主義がはびこってきている。

これには社会が二極分し中間層が没落したことによる。博愛的な理想主義は戦後拡大した中間層に支えられてきたものであった。

大金持ちにならなくてもいいが、まじめに働いていれば日々生活が良くなり満足できる生活を享受できる中間層は未来に希望を持ち理想主義を唱え他人に対し寛容である精神的余裕があった。

しかし、現在の不安な世界に生きる低所得者層は、将来の不安に怯え日々の成生活にきゅうきゅうとしており、とても他人のことを考える余裕がない。

SNS等への書き込みのちょっとしたミスを探し、厳しく糾弾し罵詈雑言を浴びせる世相は、将来への希望のなさと日々の生活に余裕のないことの現れである。

安定的で幸せを感じやすい社会は、アメリカ型の一部の金持ちと大多数の貧困層から構成される社会ではなく、中間層が多数を占め将来に希望を持てる社会である。



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posted by ドクター国松 at 13:13 | Comment(0) | 日本社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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