日大アメフト部のタックル問題で、日大アメフト部内における内田前監督の異常な支配体制が表面化し、さらにその騒動の過程でて日大内部における田中理事長の独善的な支配体制が明らかになった。
しかし、これは何も日大だけの特殊な現象ではない。劇団四季の浅利慶太氏が死去されたが、氏についても日本の演劇界への多大な功績と同時に、その絶対的な権力を利用した横暴が少なからずあったことが指摘されている。
日本社会では、内田氏や田中氏、浅利氏のように特定の分野で権威と呼ばれ絶対的な権力を持つ者が多く存在する。それらの分野で成功しようとすれば、その権力者の意を忖度し従う以外に道はない。ヘタに逆らうとそその領域から完全に排除されることになってしまう。
それらの組織に共通するのは、参加、評価、組織の運営の全てにおいて既得権を持つ者が独占的に影響力を行使し、その結果について第三者のチェックを受けないことである。
日本の多くの組織では、権力者や巨匠と呼ばれる者の意見は客観的な評価を受けることなく、組織の意見として容認されてしまう。理事長の周りに理事が、社長の周りに取締役が存在しても、彼らは理事長や社長を牽制するのではなく、その意向に盲目的に従う存在にすぎない。
最初、社長や理事長等に就任した時は謙虚であっても、長く続ける内に傲慢になり我ままになるのはその為である。
日本社会はたこつぼ型の社会であり、たこつぼの住人となるには最初からそのたこつぼに入る以外にはなく途中参加は難しい。そしてたこつぼの中だけで出世していくことが多く、それぞれのたこつぼは独立し互いに干渉しない。
この仕組みが、様々な分野に独善的な権力者が存在する原因である。あらゆる分野でもっと容易に部外者が参入できる自由さと流動性をつくらないかぎり、内田氏や田中氏のような横暴な権力者が牛耳る体制は無くならない。
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