昔は喜寿とか白寿といって、長生きを幸せなこととして、親族や周囲だけでなく社会全体として祝っていた。しかし、現在社会においては長生きは幸せというよりはリスク要因になっている。
年老いた両親が健在であることは、子供夫婦にとっては幸せなことというよりは将来降りかかってくるかもしれない負担を心配する不安要因となっている。
国は国で高齢者の増加が社会保障費用の増加をもたらし将来の財政不安につながる。それに備えてより一層の増税が必要になると、高齢者が長生きすることがあたかも社会不安の原因であるかのように喧伝している。
結果的に高齢者も若者も長生きを幸せなこととして祝福できなくなっている。
両親は自分を扶養し、援助をもたらしてくれる間は生きていてもらわなければ困るが、高齢になり負担をもたらすかもしれない存在になれば、できるだけ早くポックリと死んでもらうのが最も望ましい、という考えが意識するかしないかは別として、多くの日本人の心に染みついている。
子供が直接口に出すことは少ないが、高齢者がポツクリ寺に参り、できるだけ元気に過ごし死ぬときは子供たちに迷惑わかけないようにポックリ死ぬことを願うのは日本全体に蔓延する漠然とした空気の反映である。
これでは日本はとても幸せな国とは言えない。高齢者は自らの老後生活を心配し子供に迷惑をかけないように自らの生活を切り詰める。一方子供世代も老親が認知症になる不安や将来の自分の老後生活への不安から思い切った消費生活を満喫することができない。
日本政府が老後不安を煽り、それが全国民層に定着した現在、政府がどんなに旗を振っても、国民の将来不安とデフレ心理を一掃することはできない。
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