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2018年04月10日

官僚が「国民を導かなければならない」という時代錯誤な使命感を捨てないかぎり日本は良くならない。

大久保利通が内務省を設立し日本の官僚制度の原型を作った当時、官僚に期待された役割は西欧の文化や技術を導入することで無知な国民を導き、後進国であった日本を西欧諸国に負けない文明国にすることであった。

明治31年に日本初の政党内閣が大隈重信によって成立した後、官僚組織は今後成立するであろう政党内閣によって支配されるのではなく、天皇の官僚として政党内閣から一定の独立を保ち、国民に従うのではなく国民を指導する立場を堅持しつづけた。

この弊害は昭和期の軍部独走を内閣が統制できないという不都合を生んだ。

敗戦後もこの体制は大きくは変化しなかった。天皇の官僚としての体質は敗戦後も維持され、官僚OBが首相となる官僚内閣制が続いた。

その中で、官僚組織が戦後復興に努め、傾斜生産方式やインフレ退治に成功することで、戦後日本においても官僚組織は国民を指導する役割を保持し自負しつづけた。

しかし、日本が既に西欧やアメリカを見習う位置ではなく、それらに伍して新しい技術や文化を創造すべき立場に達した時に官僚はその役割を失った。

官僚、中でも幹部となるキャリア官僚は東大法学部出身者が多く、日本人の平均を上回る能力を有するが、過去の西欧文化の導入時とは異なり、新しい技術や文化を創造すべき現局面では決定的に国民を上回るものではななくなった。

むしろ、画一性や前例を重視する官僚的体質はこれらの目的達成には有害となり、むしろ多様性や発想の自由さを有する民間に自由に行動させた方が成果があがる状況にある。

この為、官僚の定めた規制等でがんじがらめになった日本はアメリカだけでなく中国や韓国に対してさえ、新分野で後れをとる状況に至っている。

既に、官僚が国民を指導統制し間違いを犯さないように様々な規制を加える時代は終わった。官僚は諸外国のような本来あるべき姿に戻るべきである。

すなわち国民を指導する官僚ではなく、国民に奉仕する官僚にである。


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posted by ドクター国松 at 10:01 | Comment(0) | 官僚政治からの脱却 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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