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2018年03月13日

官僚の忖度という弊害があったとしても、官僚の人事権は国民の代表である政治家が握るべき

今回の森友問題が発生して以降、「官僚の政治家への忖度が問題の本質であり、その原因は政治家が官僚の人事権を握ったことにある。」と言う主張がマスコミを通じて流布されている。

これは官僚勢力が自分達の犯罪行為を反省するどころか、それを利用して人事権を取り戻すという焼け太りを狙った戦略であり、これに官僚から情報提供を受けることの多いマスコミが同調しているものである。

内閣人事局ができるまでは、官僚の人事は事務次官の手の内にあり、政治家もそれには手をつけることができなかった。

その結果、官僚は大臣や首相の命令を軽視し、自省の利権を最優先する政策を行ってきた。内閣人事局はその反省から生まれたものである。

確かに、それにより官僚が政治家の顔を覗うようになったが、そもそも官僚が国民の代表である政治家の意向にしたがって動くのは民主主義国家では当然のあるべき姿である。政治家が官僚の人事権を持たなければ、官僚を動かすことはできない。

官僚が国民の公僕であるなら、その人事も国民の代表たる政治家に属するのが当然であり、政治的に大きな権力を持つ官僚の人事権が官僚自身にある体制は、戦前の天皇制の名残であり、まともな民主主義国家とは言えない。

官僚が政治家を忖度し不当な政策を行うのを防止する手段は、政治家から官僚の人事権を奪うことではなく、情報公開である。

今のように秘密保護法や個人情報を楯に官庁に情報の秘匿を許していては、官僚の不当な行動を防止できない。

ごく一部の機密情報だけ公開までの期間を設定し、それ以外は国会が請求すれば全て公開されるようにすべきである。さらに公文書の保存期間を設け、保存期間経過後廃棄までの間にその内容を公開するようにすべきである。

勿論、公文書の改竄や不当な廃棄には厳しい罰則を設けなければならない。



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posted by ドクター国松 at 10:00 | Comment(0) | 官僚政治からの脱却 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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