日本人は努力が好きである。一種の努力信仰ともいえるものが存在している。あたかも努力さえすれば何でもできるかのようである。
しかし、現実は努力してもどうにもならないことの方が多い。努力しても誰もが一流のスポーツ選手や芸術家になれないことは誰の目にも明らかだが、それでもスポーツや音楽等で一流になるべく頑張っている者を見ると、もっと頑張れ君ならできる、というような無責任な励ましをしてしまう。
勉強においては特にである。勉強ができないのは努力していないからだ、とばかりに努力しろと叱咤激励する。
しかし、世の中には勉強に向かない者も存在することは否定できない事実である。しかし、勉強に向かなくても他のことには向くことは多い。
自殺しようとする者に対し、死ぬ気になって頑張れば何でもできる、と説得するのをドラマ等で見ることがあるが、これほど空虚な言葉はない。できないことは死ぬ気になってもできないのである。
大切なのは無暗に努力することではなく、自分が好きでかつ可能性のある分野を見つけ、その目標実現の為に努力することである。
素質の無い分野に対してはどんなに努力しても結果的に時間の浪費か中途半端に終わるだけである。
その時々で他人の人生の指導的立場にたつ者は、ただ努力しろと叱咤激励するのではなく、相手の目指すべき分野を決定する為の補助ができるよう心掛けるべきだろう。
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