バブル崩壊後の日本社会は何回かの政権交代を経験した。しかし、与党に厳しく批判を投げかけていた野党が政権をとっても世の中は一向に変わらない。
しかし、これは当然のことである。政権が代わっても大抵の場合社会に変革がおこることはない。社会を変革する為には政権を獲った後、今まで社会を構成してきた根本的な社会システムを変更することが必要である。
日本で最も大きな社会変革と言えば明治維新であるが、これは単に幕府から明治政府に政権が交代したということではない。
最近、明治維新を否定し、あたかも幕府が存続していても日本は近代化できたかのように主張する本が売れているようだが、これなどは歴史と政治というものを理解していない者の戯言にすぎない。
日本の近代化において最も重要なことは単に政権が交代したことではなく、廃藩置県で藩を廃止し領土を国の直轄としたこと、徴兵制で軍事権を武士から奪い、秩禄処分で武士の既得権である俸禄制度を廃止したこと、地租改正で税収の基盤を築くと共に土地の私的所有制度を確立したことである。
これらの改革は幕藩制度の下ではどんなに有能な将軍が存在しても不可能である。理由は簡単で幕府政権そのものがこれらの制度に依存て成立しているからであり、これらを廃止することは自らの存立基盤を破壊することになり、結果的に崩壊せざるをえない。
中東やインド、あるいは中国においてもその時期、日本と同様に西洋技術を導入し近代化をはかる試みが実施されたが、日本を除くすべての国でその試みは失敗している。西洋化による近代化と政権の存立基盤が両立できなかったからである。
天皇を担ぎ出し幕府を倒した薩摩や長州の一部藩士から構成される明治政府はこれらの基盤をもっておらず、むしろ権力基盤を確立する為に幕府や藩の存立基盤であるこれらの制度を廃止する必要があった。
明治維新はきれいごとではなく、人格者とされる西郷にしても政権奪取の過程で様々な非人道的な行為を行ってきたことは事実である。また、他の革命と比較すれば人的被害は少なかったとはいえ、俸禄を奪われた武士、小作に落とされた農民が困窮し、その娘が身を売るという例も多数存在した。
社会を変革するということは、その制度に依存して生活してきた多くの者の生活基盤を奪うということであり、そこには抵抗が発生し血が流れることは免れえない。
政権を獲るには血を流す必要はないかもしれないが、社会を変革しようとすれば血が流れることは避けられない。
きれいごとを並べ、話し合いで全てが解決できると思っているような野党では、社会を改革することは不可能である。
日本を本当に国民の手に取り戻すに明治以来の官僚制度を破壊し、政治を国民の手におさめる新たな制度の構築が不可欠だが、330万人に及ぶ公務員の生活に甚大な影響を与える公務員改革を実施しようとすれば、ある程度の流血は覚悟せざるをえない。
これは別に殺すという意味の流血ではなく、百万人単位の公務員が職を失うことによる流血である。
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