私がマルクスやエンゲルスに初めて触れたのは大学の1年の時であった。難解で読みにくい書籍であったが、当時私の周辺では多くの者がその書籍を読み共産主義に傾倒していた。
しかし、当時から私はそれになじむことができなかった。
マルクスの理論の核をなす労働価値説では、価値には使用価値とその物の価値と二種類ある。
使用価値とはその商品の効用であり、価値とはその商品の価格を構成する根本である。
商品の価値を生むのは労働だけであり、その意味で商品の価値は本来労働者だけに帰属する。
ところが、資本家は本来労働者が生成した価値より少ない額を労働者に支払い、その差額を自分のものとし利潤を得ている。これが資本家による労働者の搾取である。
資本家により本来自分のものである価値を搾取されているから、労働者はどんなに働いても生活は楽にならない。だから労働者は団結して資本家を打倒し搾取を止めさせる必要がある、というのがマルクスの立場であった。
当時、疑問に思ったのは、資本家といえども経営者であり、商品企画やマーケティング、販売戦略等商品の使用価値を高める作業の多くは労働者よりも経営者に帰属している。
商品の価値がその生産に投入する労働力の総和で決定されたとしても、使用価値がなければその生成された価値が無価値になることはマルクスも否定していない。
とすれば、使用価値を高める為の資本家(経営者)の行動は商品の価値を市場で実現する為の不可欠な行為であり、資本家を一律に搾取者と断罪することはできないのではないだろうか。
当時の私はその疑問とスターリンの独裁をもたらしたソ連という国家への不信感から、大学を卒業するころには共産主義とはすっかり遠ざかっていた。
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