戦前の政治の問題点は、軍部を中心とする官僚勢力が天皇の権威をふりかざ゛し国民を巻き込み独善的な戦争政策を実施したことであった。
最近の流れを見ると、再び官僚の独善的な正義を背景とした政治が行われるリスクが増しているように思える。
官僚ではなく、国民が政治の主人公である為には最低限必要な条件がある。
一つは、官僚が国民の選んだ政治家の命令に従うことである。天皇の権威を背景に内閣の命令にも従わなかった戦前の軍部のような官僚組織はあってはならない。
二つは、官僚は首相や大臣、事務次官個人ではなく、法律に従って行動することである。
三つは、官僚の行動を国民が常に把握できることである。
以上の中で、一つ目は改善されている。幹部の人事権を内閣が握ることで、以前のように官僚が内閣の意向を無視することは難しくなっている。官僚勢力は森友や加計の事件を機会に、官僚人事を昔のように官僚が握ろうとしているが、この試みは許してはならない。
二つ目の点では大きな問題点がある。憲法や法律の条文解釈が時の政府や官僚に委ねられていることである。憲法や法律は文字通り運用され時の政府や担当官僚の勝手な解釈を許さないものでないと、官僚の都合で運用されるものとなり、官僚政治の温床となる。
特に根本法規である憲法に対し、9条のように、国語的に読めば誰が読んでも自衛隊とその軍備は認められないはずだが、現実世界に適合させる為に勝手な解釈を加え自衛隊を合憲とするような歪曲を加えているようでは、憲法や法律に従って政治を行うという法治国家の原則そのものが形骸化している。
共謀罪等、国民生活を直接監視する法律が成立する中で、あいまいな条文を官僚が勝手に解釈してコ国民を取り締まるリスクが増しつつある。法律を制定する場合は可能な限り官僚の勝手な解釈を許さないよう明確なものでなければならない。
三つ目が揺らいでいることが官僚独善政治のリスクが増している最大の要因である。個人情報保護法や特定秘密保護法等により、官僚の行為を検証できなくなっている。
そもそも、情報公開請求に対し、官僚の勝手な都合で黒塗りの文書を提出すること自体が官僚独善政治の始まりである。
今では、個人情報保護や特定秘密を名目に当事者の官僚の都合で情報公開しないようにできる。しかも一度も公開しないまま書類を廃棄することも可能である。
これでは官僚の恣意的な政治運営や失政があっても国民はそれを知ることができず、糾弾することもできない。これではとても国民主権とは言えない。
情報公開請求に対し、官庁がそれを拒んだり黒塗りする場合は、それが妥当か否かを判断する第三者機関のチエックを必要とすべきであり、秘密にした書類を廃棄する場合は一定期間経過後に一度公開した後でしか廃棄できないようにすべきである。
官僚の行為を知ることができなければ、官僚の勝手な政治を牽制し国民主権を維持することはできない。
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