小泉信次郎氏が「人生100年時代の社会保障」について提言している。その内容は大きく次の三つからなる。http://shinjiro.info/20161026message.pdf
一つは「勤労者皆社会保険制度の創設」である。
現在の企業の社会保険は正規雇用のみを対象にしており、一定の所得・勤務時間に満たない勤労者は、企業の厚生年金や健康保険に加入できず、十分なセーフティーネットの対象になっていないことを問題として指摘し、いかなる雇用形態であっても、企業で働く方は全員、社会保険に加入できるようにして、充実した社会保障を受けられるようにすべきだ、としている。
この点には全く同意見である。加えて言えば商店主のような自営業者についても同じ年金・健康保険制度に加入できるようにすべきである。
二つは「年金受給開始年齢の柔軟化である。
現在の制度は定年を越えて働く高齢者は少ないと想定してきたため、一定年齢を超えると保険料が納付出来なくなったり、働きながら年金を受給すると年金が減額されたりする仕組みになっている。これでは、働き方改革が進展しても、年金制度が障害となって、働く意思や能力のある高齢者の就労を阻害してしまう恐れがある。と指摘し、年金制度は「長く働くほど得をする仕組み」へと改革すべきだと主張している。
年金受給開始年齢はより柔軟に選択できるようにする。年金保険料はいつまでも納付できるようにする。働くと年金が減額される仕組みは廃止する。と提案している。
厚生労働省や財務省にかかると、開始年齢の柔軟化イコール開始年齢の引上げであるが、小泉氏の提案については文字通り柔軟化と解釈しておこう。元気な高齢者が増加し、一方で労働力が不足している実情を考えれば、高齢者が働く意欲を持て、働いても損にならない年金制度にすることは絶対に必要である。
三つめは「自助を促す自己負担割合の設定」である。
高齢化の進行で医療介護費用が一層高額化していく中で医療介護制度の持続可能性を確保するためには、「病気になってから治療する」だけでなく、そもそも「病気にならないようにする」自助努力を支援していく必要がある、と指摘し、健康維持に取り組んできた方が病気になった場合は、自己負担を低くすることで、自助を促すインセンティブを強化すべきだとして威厳している。
また、現行制度では、自助で対応できる軽微なリスクも、大きな疾病リスクも、同じように支援している。、湿布薬やうがい薬も公的保険の対象であり、自分で買うと全額負担、病院でもらうと3割負担だ。こうした軽微なリスクは自助で対応してもらうべきであり、公的保険の範囲を見直すべきだとも主張している。
健康維持に取り組んできたか否かを客観的に判断するのに何を基準とするか、また基準ができたとしても私生活への干渉とプライバシーの侵害を伴うことから、これについて国民の理解を得ることは難しそうである。
また、軽微な負担を全額自己負担とすることで、かえって病気を重症化するリスクがあり、これは予防を重視する姿勢とは矛盾しそうである。
むしろ終末期の医療に多額の費用がかかっていることを鑑み、安楽死を容認し、本人や親族の意思に反する過剰な医療を排除すべきであり、さらに快癒見込みが無く生命活動を維持するだけの治療は原則として廃止し、家族が希望する場合は全額保険対象外とすべきである。
また、この提言では「我々が忘れてはならないことは、仮に出生率が人口水準を維持するために必要な2.07 まで上がっても、人口減少は不可避であるという事実である。毎年人口が減り続けることを嘆いても、明るい未来は切り開けない。人口減少を前提に、経済社会システムを抜本的に見直すことで、人口減少をチャンスととらえ日本の強みに変えていくことが必要だ、とも書いている。
しかし、この主張には私は反対である。人口減少しながら日本が発展することはありえにない。政府は何としても人口を増加させる政策をとるべきである。
この点で小泉氏の提案している「こども保険」は適切ではない。子供が増えれば、何もしない場合に比べ将来の税収は増加する。とすれば少子化対策の費用は国債で賄うのが本来である。保険で調達した資金が官僚により湯水のように浪費されたことを忘れてはならない。借金であれば実際に少子化を克服できず、担税能力のある大人に育てることが゛できなければ国家は借金を返済できない。資金の無駄遣いは許されない。
この意味で少子化対策は保険ではなく返済財源を新しい世代の負担する税金とする借金で賄うべきである。
また、財源が無いと言っているが、少子化対策は北朝鮮の国家予算以上の税金を使いながら、それに単独で対抗できない安全保障予算よりはるかに重要であり、その分を流用すれば済む話である。
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