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2016年12月09日

天皇の意思を無視し退位を認めようとしない有識者は、天皇を聖なる奴隷と見做している。

日本の国家は、国民の平等を基本理念とする民主主義国家である。


しかし、その中で天皇家の人々は生活全般については国費により賄われるが、居住の自由を持たず、職業選択の自由も制限され、選挙権も持たない。


自由と平等を標榜する民主主義社会である日本の中では例外的な存在である。


そして、その存在は日本の歴史的伝統と国民の総意により維持されている。しかし、そこで忘れてはならないのは当事者である天皇家の意思である。


天皇家が天皇としての立場を望まないとしたら、天皇家としておかれた立場は苦痛以外ではありえないだろう。


居住の自由、移動の自由、職業選択の自由、選挙権の行使、被選挙権等、日本国民であれば誰でも持っている多くの権利を天皇家に生まれたということにより奪われているのが天皇家や皇族の置かれている立場である。これが意思に反して行われているとすれば聖なる奴隷制としか言いようがない。


日本にとって幸いなことに、天皇家も皇族も歴史的な伝統に裏付けられた自らの立場に不満は抱かれておらず、むしろ積極的にその役割を果たされているように推察される。


天皇陛下が年齢による衰えを感じ退位されたいとお考えになるのは当然の判断である。天皇の意思を知りながらそれを許さないというのは有識者の傲慢であり、天皇には何の権利もなく聖なる奴隷として死ぬまでその役割を果たすべきと考えている証拠である。


天皇制は歴史的伝統と国民の意向、天皇家の同意があって初めて存在できるものである。天皇が健康問題による退位を望み、国民の多くがそれを容認している現状で、一部有識者だけが天皇の意思も国民の意思も無視するというのは傲慢以外のなにものでもない。

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posted by ドクター国松 at 10:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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