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2016年04月25日

所得格差は否定しないが貧困の増加は許容できない。

一時期、能力主義・自己責任という言葉がさかんに
使われ、社会的にもそれが良いこととして認識され
ていた。

しかし、能力主義を標榜していた富士通等の企業の
失敗事例が明らかになったり、自己責任という言葉
が結局政府等の責任逃れに利用されるだ、という
ことが明らかになるにつれ、これらの言葉の正当性
に疑問を持たれるようになってきた。

今日本では格差の拡大が指摘され、肯定する立場
や否定する立場から様々な議論がなされている。

ここではまだ、能力がなければ貧困でもやむをえない。
貧困は本人の責任である。というような能力主義や自
己責任主義の亡霊が幅を利かせている。

少し観察眼があればわかることだが、能力不足や自己
責任に帰すことのできない貧困は社会には多く存在する。

地震で家と職を失い、貧困に陥ったなどというのはその
典型であるが、他にも会社が倒産したり、会社都合で解
雇されたり、親の介護で会社を辞めざるをえなかったり、
病気になる等、本人の責任に帰すことのできない貧困は
多く存在する。

それらを運が悪かったの一言で片づけてしまうことは、
結果的に社会全体として大きなマイナスになる。

貧困の増加は他人事ではなく、結果的に我々自身
跳ね返ってくる。

最近の犯罪やネットでの悪意ある中傷頻発の裏には
社会に対する絶望感がうかがえるものが多い。

BUSINESS JOURNALが
という記事を載せているが、これはおそらく事実だろう。

格差が拡大し貧困層が増加すれば、それが子供の
世代でさらに拡大する。

このまま放置すれば、古き良き日本社会の美徳は失
われ、日本も他国同様の荒んだ社会に陥ってしまう
ことになる。











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posted by ドクター国松 at 13:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 国民生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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