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2015年12月07日

いずれ命というものの価値を真剣に見直すべき時期がくる。

認知症の家族を抱え一家自殺や殺人に追い込まれ
た、という記事を見る機会が増えている。

認知症の家族の面倒を見る為に仕事を止め、介護
費用で資金を失い、精神的疲労でうつ状態となり、
一家心中をはかり、結果自分が死損ね殺人罪で
逮捕されるというのが多いパターンである。

現在の価値観では人の命は何よりも大切なものであり、
それを奪うということは法律面は勿論のこと道徳面でも
絶対に許されない行為とされている。

しかし、唯生きているだけとすれば、そんな命に価値が
あるだろうか。

人はどんなに頑張っても必ず死ぬ。永遠に生きる人間は
どこにもいない。とすれば単に生きるということに価値が
あるのではなく、如何に生きるかに価値があると考えても
そう大きな間違いではないだろう。

だからといって、認知症になって何もわからなくなれば、
人生の価値はないのだから安楽死させてもいいと、短
絡的に結論づけるのも正しいとは思わない。

しかし、認知症患者を家族だけに押し付け、結果的に健
康な家族を死や犯罪者に追い込む八方ふさがりの現行
制度はあまりにも問題が多いと言わざるを得ない。

政府が重度の認知症患者の命を尊重するのであれば、
予算の有無に関係なく、施設や制度をもっと充実し、
康な家族が認知症の家族によって地獄に落ち込まない
ように支援すべきである。

予算がなくてそれができないというなら、はっきり制度と
して安楽死を導入すべきであろう。



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posted by ドクター国松 at 10:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 高齢化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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