認知症の家族を抱え一家自殺や殺人に追い込まれ
た、という記事を見る機会が増えている。
認知症の家族の面倒を見る為に仕事を止め、介護
費用で資金を失い、精神的疲労でうつ状態となり、
一家心中をはかり、結果自分が死損ね殺人罪で
逮捕されるというのが多いパターンである。
現在の価値観では人の命は何よりも大切なものであり、
それを奪うということは法律面は勿論のこと道徳面でも
絶対に許されない行為とされている。
しかし、唯生きているだけとすれば、そんな命に価値が
あるだろうか。
人はどんなに頑張っても必ず死ぬ。永遠に生きる人間は
どこにもいない。とすれば単に生きるということに価値が
あるのではなく、如何に生きるかに価値があると考えても
そう大きな間違いではないだろう。
だからといって、認知症になって何もわからなくなれば、
人生の価値はないのだから安楽死させてもいいと、短
絡的に結論づけるのも正しいとは思わない。
しかし、認知症患者を家族だけに押し付け、結果的に健
康な家族を死や犯罪者に追い込む八方ふさがりの現行
制度はあまりにも問題が多いと言わざるを得ない。
政府が重度の認知症患者の命を尊重するのであれば、
予算の有無に関係なく、施設や制度をもっと充実し、健
康な家族が認知症の家族によって地獄に落ち込まない
ように支援すべきである。
予算がなくてそれができないというなら、はっきり制度と
して安楽死を導入すべきであろう。
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