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2014年06月10日

官僚の権力の源泉は、法律等を恣意的に解釈できること、解釈改憲は国民を権力者と官僚の奴隷に貶める。

日本では、他の欧米先進国と比較し官僚の権力が大きいと
言われている。

その権力の源泉になっているのが、法律や政省令の適用の
詳細が官僚個々の裁量に任されていることにある。

官公庁に補助金の申請や規制の緩和等の交渉をしたり、官庁
の検査を受けたことがある者なら誰でも一知っていることだが、
担当者のさじ加減により、その結果に大きな違いがでる。

法律や政省令、規則等が緻密に作成され、誰が担当者でも
同じ判断が出るようになっておれば、そんなことはありえない
はずだが、日本ではそうはなっていない。

日本で一番頭が良く、重箱の隅をつつき、矛盾がないように
論理を組み立てるのが得意な高級官僚は、必ず官僚が裁量
で左右できる余地を残して法律や政省令を作成する。

それが彼らの権力の源泉である。誰が来ても同じ結論になる
なら、担当者の官僚に気を使う必要はないが、担当者によっ
て結論が変わるとすれば、彼らに配慮せざるを得ず、ひいて
は天下りとして受け入れることが利益になる。

はっきりと「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。」と書かれている憲法を有しながら、個
別的自衛権だけではなく、集団的自衛権も憲法は許容している
と解釈できるなら、

憲法18条の「何人もいかなる奴隷的拘束も受けない。」という
条文も、但し、国に対し害をなす可能性のある者はその限りに
あらずという解釈になる時期は遠くないかもしれない。



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posted by ドクター国松 at 09:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の政治システム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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