国際司法裁判所で日本の調査捕鯨に対し中止判決が出た。
事実上の商業捕鯨という主張に対し十分に反論できなかっ
たのがその原因である。
反論できないのは当然である。調査捕鯨といいながら、その
目的が鯨肉の確保にあることは日本人なら誰でも知ってい
る。
日本側が調査捕鯨という建前をとっている限り、客観的に見て
国際司法裁判所の判決は妥当である。
しかし、それと捕鯨の是非は別問題である。日本は1985年に
国際捕鯨委員会の商業捕鯨の一時停止決議を受け入れ、同
時に調査捕鯨を開始したが、これを受け入れるべきでなかった。
何も、キリスト教諸国のバカバカしい価値観を受け入れる必要
はなく、日本が本来とるべき態度は国際捕鯨委員会から脱退し
商業捕鯨を継続することであった。
それを欧米諸国からの批判を恐れ、表面的にはその決定を受
入れ、調査捕鯨などという抜け道を探すような姑息な手段をとる
から捕鯨中止に追い込まれたのである。
日本のこの姑息な、その場だけを取り繕う外交姿勢は慰安婦問題
と同様である。韓国との関係悪化を恐れるあまり、事実でもなく自ら
も信じてもいないのに、河野談話で詫びをいれる。
このように相手の機嫌を損なわないように、自分の信じることでは
なく、相手の気に入るようになことを言い、表面的に取り繕うような
外交を続けていては、結局誰にも信頼されないことは国も個人も
同じである。
外務省の「骨の無いクラゲ外交」は日本にとって百害あって一利ない。
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