東京新聞が自民党議員が一票の格差判決に異論を唱えた
ことについて「最高裁は二〇一一年三月に衆院の選挙制度
が違憲状態と判断。国会はその状態を二年近く放置したまま
昨年末の衆院選を行った。そのことが今年に入ってからの一
連の高裁判決につながっているが、そのことに対する反省の
弁は、同党議員からは、ほとんど出なかった。」と批判的に報
じている。
しかし、一票の格差をなくすことが日本の政治にとってそんなに
大事なことなのだろうか?
自民党の中谷元氏は選挙区は人口比のみでなく、地勢や
交通事情を総合的に考慮して定められるべきだ」と一票の
価値だけで制度を評価すべきではないとの考えを示した。
全く同感である。日本は昔から国土が狭い上に平地が少
ないことが欠点だと言われてきた。しかし、今の日本を見
るとその貴重な国土が放置され荒廃しているである。この
まま一票の平等を協調し、都会の意見のみが反映される
ようになれば、日本の国土の大部分が放棄され荒廃する。
今ある国土も満足に利用できないような国が領土問題で
強い態度をとる資格は無いのである。
また、土屋正忠氏は「『鳥取と東京に一票の格差があるか
らけしからん』という声を、聞いたことがない。国民感覚を代
弁しているのか」と高裁判決を批判。
これも尤もである。一票の価値の国威地域は同時に投票
率の低い地域であるが、一票のかが上がったからといっ
て彼らの投票率が上がること期待できない。
武田氏の論ではないが、一票の価値が低いのが気に入ら
ないなら価値の高い鳥取や高知に引越せばいいのである。
そうすれば過疎化対策にもなる。
裁判所の判断は所詮憲法と照らして合法か否かの判断に
すぎず政治制度としてどちらがいいかなどは彼らの管轄外
てあり、裁判官にそんな能力はない。
民主主義国家だから一票の価値が平等でなければならな
いことはない。アメリカの上院は一票の価値の平等を前提
としてない。
憲法を改正し、議員の選出方法の多様性を許容できるよう
にすればいいだけである。
はっきり言えば判断能力も無い者が同じ一票を行使できる
こと自体が現行制度の欠点である。
一票の平等は人間の平等を前提としていが、明らかに判断
能力の劣る者が同じ一票を行使することは不合理である。
選挙人資格として一定の試験に合格することを義務づける
ような制度も検討に値する。
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