っている。
しかし、何が何でも体罰は悪だというのはまた極論である。
スポーツ分野では確かに体罰は百害あって一利なしである。
技能の上達や、スポーツに対する真摯な姿勢は体罰による
強制で実現できるものではない。本人の自発的な意思と科
学的な練習の方がはるかに効果的である。
そもそもスポーツは強制されてするものではなく、本人の意
思で行うものである。真面目にスポーツに向き合わない者
や技能習得の努力をしない者に対しては強制するのではな
く排除すればいい。
これは高校や大学等の学校教育においても同様である。真
摯に勉強しない者や秩序を乱す者は口頭で注意し従わなけ
れば直ちに退学させ排除すればい。
高校以上の学校では体罰の必要性はない。
しかし、小学校や中学校という義務教育はそうではない。本
人の意思に関係なくそこでは学ぶことが強制される。
当然、秩序を乱す者もでてくる。この場合口で注意し治れば
問題はないが、当然それでは言うことを聞かない者もでてくる。
「何事も良く話をすればわかる」と人間というものを知らない
机上の理想主義者は言うが、どんなに理をつくし誠意をも
って話してもわからない奴はわからないのである。
そういう者に対しては強制以外に方法はない。そこで体罰
批判をおそれあいまいな対応に終始すれば学校の教育現
場自体が崩壊してしまう。
生徒を排除できない小学校や中学校では強制手段として
の体罰は必要悪である。
しかし、教師個々が独自の判断で体罰を行使するには教師の
人間的レベルは十分ではない。
体罰については行使を必要とする事例や手順、体罰の種類に
ついて細かくルールを定め、誰でも適切に行使し、後でその是
非について検証できるように整備すべきである。
何が何でも体罰はダメということを続けると。小中学校の学級
崩壊が再び問題になるだろう。
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