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2013年01月24日

日本では建前と責任逃れが人命(在留邦人救助、移植を必要とする児童等)より重視されている。

アルジェリアの人質事件は日本人にとって予想外の悲劇に
終わった。

しかし、今後これ以上の悲劇がおこっても何の不思議もない。
海外の危険地域で働く日本人は増え続けているが、彼らに
危機が迫った時の救出体制は整備されないまま放置されて
いる。

今回の事件を受けようやく政府が動き始めたが、自民党政権
時代を通じ、在留邦人を救出できないような自衛隊法を放置
してきたことは政治の怠慢である。

この原因はバカげた日本国憲法9条にあるが、自衛隊は軍隊
でないという建前を守るために、海外での戦闘に日本人が巻
き込まれる可能性に気づきながらこれを放置してきた政治家
や官僚の罪は大きい。

日本の政治では現実から遊離した建前に拘り、現実から目
をそむけ判断をしようとしない責任逃れの弊害が多い。

児童の臓器移植もその一つである。法律を改正したが依然
として児童の臓器移植はすすまない。大金を集め金で外国
人の臓器を買っている、という好ましくない行動を黙認し美談
として語ることで、制度の不備を放置している。

移植の前提として児童虐待がなかったこと、と決めることは
一見正しいように見える。

しかし、その判断を医療現場に丸投げすることで、官僚は建
前を守り、責任逃れをはかる。

医師は後で責任追及されないように少しでも疑念があれば臓
器摘出を断念せざるをえない。

親もまた、児童虐待の疑惑を受けてまで子供の肉体を切り刻
みたくはない。所詮助かるのは他人の命である。

いかにも尤もらしい、虐待された児童の臓器提供はできない、
という建前が臓器提供を実質的に阻害している。

アメリカは、臓器移植で救える命であるならば、どのような状況
で臓器が提供されることになったのかは問わないで、とにかく救
うということを国の方針に立てた。

日本は虐待を隠すために臓器提供をさせないという、尤もらしい
建前を守るために、多くの確かる命を犠牲にしている。

せめて、医師であれば誰でもできるような判断基準を整備すべき
である。


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posted by ドクター国松 at 14:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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