だろうか?
昔は、改革という言葉には物事をよくするというイメージが
あったのだが、今では改革という言葉を聞くと、暗いイメージ
がわいてくる。
改革という言葉には将来を良くするというイメージはなくなり、
不確かな未来と負担の増加と生活苦というイメージがついて
まわる。
現実に年金改革という言葉の意味するものは、年金支給開始
年齢の引き上げ、年金額の削減、年金保険料の引き上げである。
健康保険改革という言葉は、年金保険料の引き上げ、個人負担
額の増加を意味する。
しかも、これらの改革を実施しても年金問題も健康保険問題も何
一つ解決せず、百年安心にはならない。
払い過ぎと言われる高齢者の年金も、現在65歳になる者の厚生
年金額の平均が200万円前後となっており、一人の生活費とし
てぎりぎりの水準にすぎない。
また、年金保険料も健康保険料も負担の増加が、低賃金が常態
化している勤労者の生活を圧迫しており、すでに負担増と支給削
減を前提とした改革は限界にきている。
年金や健康保険については、自助努力と社会負担の間を彷徨う
今の中途半端な概念を見直し、自助努力で一本化するか社会負
担のセーフティネットとして一本化するか、どちらかを選択せざる
をえない。
例えば自助努力に一本化するなら、年金は積立方式にすべきであ
り、積立できない弱者への対応は生活保護で行うべきである。
(移行過程の困難についてはここではふれない)
社会負担のセーフティネットで一本化するなら、年金の保険料に
上限はなくすべきであり、支給額は保険の負担額に関係なく年収
制限と支給額の上限を設定すべきである。
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