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2013年01月07日

社会保障改革というと給付削減と負担増ばかりだが、本当にこれでいいのか

改革という言葉が良いイメージでなくなったのは何時頃から
だろうか?

昔は、改革という言葉には物事をよくするというイメージが
あったのだが、今では改革という言葉を聞くと、暗いイメージ
がわいてくる。

改革という言葉には将来を良くするというイメージはなくなり、
不確かな未来と負担の増加と生活苦というイメージがついて
まわる。

現実に年金改革という言葉の意味するものは、年金支給開始
年齢の引き上げ、年金額の削減、年金保険料の引き上げである。

健康保険改革という言葉は、年金保険料の引き上げ、個人負担
額の増加を意味する。

しかも、これらの改革を実施しても年金問題も健康保険問題も何
一つ解決せず、百年安心にはならない。

払い過ぎと言われる高齢者の年金も、現在65歳になる者の厚生
年金額の平均が200万円前後となっており、一人の生活費とし
てぎりぎりの水準にすぎない。

また、年金保険料も健康保険料も負担の増加が、低賃金が常態
化している勤労者の生活を圧迫しており、すでに負担増と支給削
減を前提とした改革は限界にきている。

年金や健康保険については、自助努力と社会負担の間を彷徨う
今の中途半端な概念を見直し、自助努力で一本化するか社会負
担のセーフティネットとして一本化するか、どちらかを選択せざる
をえない。

例えば自助努力に一本化するなら、年金は積立方式にすべきであ
り、積立できない弱者への対応は生活保護で行うべきである。
(移行過程の困難についてはここではふれない)

社会負担のセーフティネットで一本化するなら、年金の保険料に
上限はなくすべきであり、支給額は保険の負担額に関係なく年収
制限と支給額の上限を設定すべきである。



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posted by ドクター国松 at 10:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | セーフティネットを整備する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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