段だが、最近大阪維新の会に対するマスコミのバッシング
が目立つ。
9月30日付の産経新聞の社説も、多くのマスコミの批判と
同様の論調である。
元々、マスコミなどは事実を伝えるのが役割で、それ以上の
ことは期待していないのだが、思いあがって自分の意見を開
示したがる。
戦前戦後を通じ、稚拙な意見で国民をミスリードしてきたにも
かかわらず、その反省もなく。あいかわらずバカな意見を羅列
している。
産経の日本維新の会批判の要旨は大きくは次の四つである。
1.橋下氏に権限が集中している。
日本維新の会は良くも悪くも橋下氏の強い個性に依拠した
政党である。日本維新の会が国民の注目を浴びるのも、国
民が日本維新の会に期待するのも、橋下氏に期待するから
である。自民党や民主党のように党首がリーダーシップを発
揮できない体制であれば、日本維新の会は国民の期待を裏
切ることになる。
2.国会議員と地方議員が対等では民意が損なわれる。
日本維新の会の場合、国民は議員個人よりも日本維新の会
の方針に賛成して投票するのであり、候補者は党の方針に
従った公約で選挙に臨む。党内で意見が対立することがあっ
たとしても、それは公約以外の内容であり、 民意がそこなわ
れることにならない。自民や民主の議員が選挙公約と異なる
決議に賛成する方が余程民意を損なっている。
3.維新八策に政策課題と憲法改正が必要な項目が混在し
ている。
政策なのか、将来的な目標なのか区別が付かないし、有
権者の歓心を買いそうな項目を並べただけ、と批判してい
るが、だれが見てもあきらかなようにこれは方向性である。
むしろ民主党や自民党には日本をどういう社会にするとい
う方向性の無いことが問題なのである。そして憲法改正は
あるべき日本社会を実現する上において可能な限り早く 実
現せねばならぬことであり、決して書いているだけのもので
はない。
4.候補者の質が担保されない。
小泉チルドレンや小沢チルドレン等を念頭においての発言
だろうが、候補者公募も「頭数をそろえればよい」わけでは
ない。国政を担うに足る実績や見識を備えた人材を短時間
で集められるのか。橋下人気への便乗組が殺到したので
は国政の劣化は免れまい。ともっともらしい批判をしている。
しかし、これは民主も自民も同じであり、特別に日本維新の
会だけを批判する材料にならない。
元々、日本の政治システムでは国会議員にそれほど高い
レベルの能力は要求されてこなかった。肝心なのは首相
や大臣レベルの人材の能力であるが、これも民主。自民の
時代を通じ、誰でも一応務まるレベルであった。勿論日本
維新の会には民主。自民より高度な政治を期待しているの
だが、それはまだ先の話である。いきなり日本維新の会が
次の選挙で政権をとる、ということになれば不安があるが、
まずは100犠牲前後の野党として活動するということであ
れば特にこのことで日本維新の会だけを批判すべき理由
はない。
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