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2012年07月05日

生活保護問題に見る、日本社会の本音と建前の埋められない乖離

吉本の河本の親が生活保護を受けていたことが発覚して
以来、生活保護問題が脚光を浴びている。

芸人親族だけでなく、公務員親族も生活保護を受けている
ことが判明し、マスコミ等がバッシングを続けている。

これを受けて、さっそく厚生労働省は制度見直しとして、「受
給者の親族に経済的な余裕があれば保護費の返還を求め
る仕組み」を導入しようとしている。

この背景には、困窮している者は「国家ではなく親族が面倒
を見るのが当然だ」という古き良き時代の価値観がある。

そのような制度が有効に機能するためには、社会の中にそ
の価値観が存在するだけでなく、誰もが疑いも無く納得でき
る価値観として活きていることが必要である。

しかし、日本国民の中で「自分の生活を犠牲にしてでも喜ん
で親族の為に助力する」という者がどのぐらいいるだろう。

今の子供に、親の面倒を見なければいけない、といったら
キョトンとして、何をいっているのか理解できない子供がほ
とんどだろう。

戦後教育以降、子供が自分を犠牲にしてでも親の面倒を見
なければならない、という教育は学校ではされていないし、
親自身も子供に対し教育してきていない。

「親が未成年の子供の面倒を見るのは当然でも」(これも崩
れつつあるが)「子供が親の面倒を見ることは当然ではない
のである。」

既に崩れてしまった建前を強制するためには、社会のある
べき姿について徹底的に議論し、国民のコンセンサスをえ
る必要がある。

一片の法律で強制し、実効をあげられるほど簡単な問題では
ない。


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posted by ドクター国松 at 10:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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