細川護煕が結党した日本新党と同じく1992年に日本政治を
変革すべく経営コンサルタントの大前研一を中心に平成維新
の実現を目的に結成された組織でした。
頼りなさそうな細川に対し、自信家で弁論が上手な大前の活躍
もあり、一時は日本新党以上に支持者を集めていました。
しかし、日本新党が党として候補者をたて選挙に臨んだのと
対照的に平成維新の会は候補者を立てず、既存の政党に対し
平成維新の会の政策に賛成か否かの踏絵を行い、賛成する
候補者を推薦するという方針を決定しました。
当時会員であった私も複数の候補者と面接し、平成維新の会の
政策への賛否を問い、推薦する方保者選びに従事しました。
現職の国会議員の誰もが推薦がほしいため、我々のような一介
のサラリーマンに対しても時間を割き、平成維新の会の政策にも
賛同する意思をしめしてくれました。
結果、108人を推薦し82人を当選させるという大成功に終わりま
した。
しかし、それが平成維新の会の最初で最後の成果でした。当選後
の議員に対し平成維新の会は影響力を行使できず、その政策実
現に主導権を発揮できないまま平成維新の会は衰退しました。
一方で日本新党が議員を当選させ、細川護煕氏が総理大臣までな
ったのと対照的です。
やはり、政治は議員を擁立し当選させないと何も実現できません。
大阪維新の会においても、その政策を実現させるには、自前の
議員を当選させることが絶対に必要です。
自民用や民主党の議員に自分たちの政策実現を託しても、それは
実現できません。
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