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2012年03月27日

原子炉全廃という思考過程の幼稚さへの懸念

もうすぐ日本国内で稼働する原発がゼロになる。大震災以前
では全く想像できなかった事態である。

日本の世論では原子炉全廃という考えが徐々に主流になりつ
つある。

しかし、その世論の形成過程をみると、合理的な理性的判断
というよりは、幼稚な感情的ヒステリーによるものが大きい。

事故の可能性がゼロでない限り原子炉は一切認めない、とい
うような意見は合理的な思考の結果とは言えない。

人間だから間違いは必ず発生する。事故がおこれば大惨事に
なる。だから大惨事が発生するような施設は一切認めない。
これは、健全な思考とは呼べない。

外に出れば交通事故にあうかもしれない。突然刺されるかもし
れない。ひょっとしたらビルから物が落ちてきて当たるかもしれ
ない。だから家から出ることはできない、という神経症患者と同
じ思考である。

世の中には発生可能性がゼロというようなものは存在しない。
リスク管理は発生する可能性があることを前提として行うもの
である。

原子力については、まず代替エネルギーとの比較で必要性を
判断すべきである。供給余力、コスト面、安定性で代替エネル
ギーで賄え、経済的に競争他国に負けない電力が確保できれ
ば、原子力を廃止するのは合理的である。

電力は供給できても、国内産業が競争力を失うのであれば、原
子炉事故で死なないかわりに、失業で死者が増加することにな
る。

次に、廃止すると経済的に大きなダメージを受けるならば、事故
防止がどの程度可能か検討すべきである。今回の大震災後の
事故も、電源喪失がなければ発生していない。予備電源の確保
を改善するだけで事故発生の可能性は大きく減少する。

原子力発電は核廃棄物の処分という致命的な欠点が未解決な
のでこれを擁護する気はないが、感情的な恐怖や、人間だから
ミスは避けられないというような一般論だけで物事を判断する
幼稚な思考からは何も生まれてこない。

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posted by ドクター国松 at 10:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 電力問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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