に、具体的な力以外に、それぞれ幻想を抱えている。
例えば、絶対王政は王の地位は神によって与えら
れたという幻想によって支えられていた。
徳川幕藩体制を支えてきた幻想は、生まれと血筋
により身分が決定されるという幻想であった。
これらの幻想が現実によって否定されるときに、体
制は崩壊する。
民主主義を支える幻想は、人間は生まれながらに
平等である、というものである。
さらに、人間は理性的に話し合えば互いに正しい
結論に達し合意できる、という幻想である。
議院内閣制は選挙で民主的に選ばれた議員は選
挙民の意思を代表し、それが政治に反映されると
いう幻想を前提にした政治制度である。
今、現実の社会及び政治の中でこれらの幻想は国
民の信頼を失いつつある。
人間は本当に皆平等だと本心から信じている人間
はどのぐらいいるだろうか。
多発する不条理な犯罪や、常識の通じない者や、ろ
くに九九もできないような無知な国民の増加はこの
幻想を信じることを難しくしている。
一票の価値を同等にする制度が合理的であるには、
一票を行使する者が最低限必要とされるレベルの
判断力を有するという社会的コンセンサスが成立し
ていなければならない。
国民の平等性に疑問が生じる外国人の増加はどの
時代、どの地域においても民主主義への疑問に直
結する。
また、現実の政治の中で、国民の意見が政治に反
映されないこと、選挙で国会が党利党略の場と化し
国会内の話し合いで何一つ解決しない現状は、国
民に民主主義と議院内閣制への信頼を失わせ、
何でもテキパキと解決できる有能な人材や組織を
待望させることになる。
戦前の日本ではそれが軍隊であった。今後の日本
では誰が、どの組織はその役割を期待されることに
なるのだろうか
はげみになりますので、クリックをお願いします
見当違いの稚拙な意見を述べさせて頂きます。
今、不遇な状況にある人々には、エリートによる「全体主義」政治が望まれているのではないでしょうか。古来より無責任で無知な市民が社会のイニシアチブを執る現代社会は、行き詰まりを向かえています。
事あるごとに、「市民」は政治家・官僚・財界等の無能ぶりを糾弾していますが、それらの連中もまた「市民」の出自であり、支持して従ってきたのも他ならぬ「市民」です。そのような「無自覚で無責任」な「市民」の創る社会・国家に如何ほどの未来があるのでしょうか?
駄文長文誠に失礼致しました。