紺谷典子氏の平成経済20年史という幻冬舎新書の本が目についた。
こういうのをユングの共時性というのだろうか、その内容は正にその時私が考えていた
ことにピタリと一致した。以下は本からの引用
「日本のバブル破裂の傷が、かくも深く大きくなったのは、ひとえに政策に失敗である。」
「日本の政策当局の、もっとも重大な問題は、意識的にバブルを破裂させたことである。
ソフトランディングを図るべきバブルを、叩き潰したことである。」
この言葉は片山氏の発言とも一致する。
「三重野康日銀総裁は、日本の株価と地価を半分に下落させる、と宣言し、実行した。
株価と地価を暴落させれば何が起こるか、いまや素人でもしっていよう。
しかし、金融の専門家であるはずの日銀総裁が、それを理解していなかった。」
「バブル潰しに使命感を燃やしたのは、日銀だけではない。大蔵省も同じだった。日本の
不幸は経済運営の両輪と言うべき日銀と大蔵省が、ともにバブル破裂の経済的影響に
無知、無関心だったことである。」
これらの記述には、全く同感である。片山氏の発言の中にも、もっとソフトランディングする
方法があったが、総量規制という劇薬を選択した、という趣旨の発言があったが、このことも
紺谷氏の見解を裏付けている。
結局、日銀にしろ、大蔵省にしろ、日本の経済運営をする専門家集団の長の無能さが
今の日本の惨状をもたらしたのである。
ここからは私の持論だが、
彼らは東大法学部を出、経済の専門知識を勉強することなく、経済の実務経験も無いまま
日銀内や大蔵省内の仕事のみを行い、その中で出世してきた。
経済運営の専門家とは名ばかりで、畳の上の水練だけをして、水泳の専門家になった
ようなものであり、生きた経済を何一つ理解していない。
そんな人間を頼りにして、崩壊寸前のバブル経済というような未曾有の荒波を乗り切ろうと
したのが、悲劇の始まりであった。
日本も官僚制度を改め、少なくとも経済運営の責任者は、アメリカのように経営者として
生きた経済と格闘してきた人物にすべきである。
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