混迷が目につく。
平野博文官房長官は25日の記者会見で、選挙結果を斟酌しなければならない
理由はない、と発言した。鳩山政権の苦しい立場を示している。
しかし、この責任は誰でもない鳩山政権にある。方針を決められない中で、責任を
放棄し、名護市民に判断をゆだねてしまったのである。
そうしてでてきた「民意」を軽視し、辺野古案を選択肢に残す政府の対応に、市長や
名護市民が怒るのは当然のことである。
しかし、他を選択しようとしても、もう既に混乱が起き始めている。
長崎県では沖縄県名護市長選から一夜明けた25日、連立与党内で取りざたされる
佐賀空港への移設を警戒する動きが広がっている。
名護市が嫌なものは他でも嫌である。しかし、国策として移設が必要と判断し、それが
国民の利益になるのであれば、場所の決定は国がすべきである。
地元の意見は参考として聞けばいいが、決定はあくまでも国がすべきである。
国のために誰かが犠牲になる必要があるとすれば、それを決定するのは地元では
なく、国である。そのことは、民主主義には反しない。
国は決定したうえで、地元の負担が最小になるよう努力すべきである。
今回民主党は最初の段階で失敗した。しかし、平野氏の言うように白紙の立場で
どこが基地としてふさわしいかよく考えて決定すべきである。
仮に、辺野古がふさわしいということになれば、鳩山首相が責任をとって辞職してでも
辺野古に移転すべきである。
それが、政治責任の取り方である。
はげみになりますので、クリックをお願いします