にほんブログ村 政治ブログへ 人気ブログランキングへ
最初のページはこちらです。

2010年01月26日

民主主義政治とは、国家の大事を一地方に委ねることとは別物である。

   民主党が推薦した移転反対派の稲嶺進氏が名護市長に当選したことにより、民主党の
   混迷が目につく。 
  
   平野博文官房長官は25日の記者会見で、選挙結果を斟酌しなければならない
   理由はない、と発言した。鳩山政権の苦しい立場を示している。

   しかし、この責任は誰でもない鳩山政権にある。方針を決められない中で、責任を
   放棄し、名護市民に判断をゆだねてしまったのである。

   そうしてでてきた「民意」を軽視し、辺野古案を選択肢に残す政府の対応に、市長や
   名護市民が怒るのは当然のことである。 

   しかし、他を選択しようとしても、もう既に混乱が起き始めている。
   長崎県では沖縄県名護市長選から一夜明けた25日、連立与党内で取りざたされる
   佐賀空港への移設を警戒する動きが広がっている。

   名護市が嫌なものは他でも嫌である。しかし、国策として移設が必要と判断し、それが
   国民の利益になるのであれば、場所の決定は国がすべきである。

   地元の意見は参考として聞けばいいが、決定はあくまでも国がすべきである。
   国のために誰かが犠牲になる必要があるとすれば、それを決定するのは地元では
   なく、国である。そのことは、民主主義には反しない。

   国は決定したうえで、地元の負担が最小になるよう努力すべきである。

  今回民主党は最初の段階で失敗した。しかし、平野氏の言うように白紙の立場で
  どこが基地としてふさわしいかよく考えて決定すべきである。

  仮に、辺野古がふさわしいということになれば、鳩山首相が責任をとって辞職してでも
  辺野古に移転すべきである。

  それが、政治責任の取り方である。

 

   



   


はげみになりますので、クリックをお願いします

にほんブログ村 政治ブログへ 人気ブログランキングへ このエントリーをはてなブックマークに追加 follow us in feedly
posted by ドクター国松 at 10:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 危うい日本の民主主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック