災害となった阪神・淡路大震災は、発生から15年を迎えた。
兵庫県各地で追悼行事が行われたが、いまだに大きな傷跡を残している。
ハイチでの地震発生後の混乱を見るにつれ、日本では、もう阪神大震災規模の
地震が発生しても当時ほどの悲劇は避けられるのだろうか、と考えるとまだまだ
安心できないように思う。
当時、テレビで地震後の神戸の映像を見た時、印象に残ったのは、燃え盛るままに
放置された炎と、地震に耐えたにもかかわらず、次々と燃えていく建物であった。
現在は当時よりは初期消火体制等はかなり改善されているようだが、大きな火災
になってしまった場合の消化体制はいまだに不十分ではないだろうか。
他府県との連携や、警察、自衛隊との連携体制がどこまで改善されたのか、やや疑問
が残る。
もう一つ印象に残っているのは、復興過程での混乱であった。自然災害の被害回復
は個人の責任であるとされ、運が悪く地震に遭遇し、財産を失った者は仮住まい
と当座の衣食は与えられたものの、国からは個人への直接支援はするべきでない、
との原則のもとに放置された。
数多くの善意のボランティアの温かさと、しゃくし定規で人の苦境を慮ろうとしない
政府の冷たさを感じた時であった。
運よく地震を生き延びた者の内少なからぬ者が、今まで築き上げた財産も仕事も失い、
負債だけをかかえ、絶望の末に死んでいった。
家を失った者の内、復興住宅から脱出できない者も多い。家を建てることに成功した
者も元の家のローンと二重に住宅ローンを抱え、元の生活を取り戻せていない。
分譲マンションは、入居者間の調整の手間取り、とうとう修理や建て替えをあきらめた
ケースもある。
この状態は現在でも改善されたようには思えない。これからも多くの大地震の発生が
予想される日本では、建物や構造物だけではなく、暮らしや地域の再生を重視した復
興プランを整備すべきである。
阪
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