していたが、どう考えても核廃絶は無理である。
そもそも両者は全くかみ合わないのである。核廃棄論が被害の悲惨さを訴える感情に訴えるもの
であったり、人類滅亡の可能性といった不確実な未来予測を理由に展開されるのに対し、消極的
であれ積極的であれ、核を許容する側は論理的・現実論的見地からその必要性を唱える。
言っていることはどちらもそれなりに正しいが、互いの意見が相いれることは、まずない。
そして、核に関する決定権を持っている者は、どの国においても極めて論理的かつ現実的な思考
をする人間である。そうでなければ彼らはその地位に就くことはできなかったに違いない。
当然の帰結として、彼らが核を放棄することはありえない。
歴史上、一旦獲得した強力な人殺しの道具を手放した事例は、江戸時代の日本以外にはない。
日本を統一した江戸幕府が、藩を抑え自らの優位を保つために鉄砲を抑制し、やがて長い平和の
中で、武器としての鉄砲の必要性が減少し、衰退したものである。
現在の地球に世界政府ができ、長期間の平和が続けば、核も廃絶される可能性はないこともない
が、そうならない限り不可能というのが、合理的な判断だろう。
しかし、結果として日本が西洋に大きな後れをとり、植民地化の危機に陥った教訓を忘れてはいけ
ない。
宇宙に人類だけとは限らないし、衝突する隕石を破壊するために核が必要になるかもしれない。
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