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2009年05月04日

憲法記念日

昨日の憲法記念日に例年と同様に各地で、改正に賛成・反対する立場から、
憲法集会が開催された。

共産党などは、昔は憲法改正を唱えていたものだが、今では護憲派の代表の
ような顔をしているのには笑ってしまう。

誰しも戦争などしたくはない。しかし、現実社会に目を閉ざし、ひたすら憲法9条
を教条的に維持しようとする姿勢は現実逃避でしかない。

日本国内で安心して生活できるのは警察が存在するからである。

警察をなくしても安全に変わりはない、と考える者は少数派だろう。
国内には多数の犯罪者とその予備軍がいることを否定する者はそう多くない。

しかし、国際社会になると何故か評価は一変する。

国内では、理性と会話ではなく感情と暴力が、正義ではなく犯罪が発生する可能性を認めて
いる者が、国際社会では理性と話し合いで全てが解決できると考えているかのような主張を
している。

いわく、武力など持たなくても日本を侵略する国など存在しない。国家間の対立も話し合い
で解決する。

日本は世界第二位の経済大国である。ということは、それだけ外国にとって魅力的な国である。
そんな国が全くの丸腰で安心できるものであろうか。

国連があれば大丈夫と考える者は、北朝鮮がミサイル発射をした時の国連の対応をみればいい。
国連など、いざという時にはほとんどあてにならないことがわかる。

話し合いですべてが解決すると考える者は、インターネットの2チャンネルやヤフーの掲示板を
読んでみればいい。そこではほとんどの対立は、話し合いでは解決していない。

各国の政治指導者のレベルは国民のレベルとあまり違いはない。彼らの理性に自らの安全をかける
ことは、負けの可能性の高い賭けである。

結局のところ、憲法9条を維持できるのは、日本がアメリカの傘に守られているからにすぎないことは
多くの者が口にはしないが理解している。特に権力に近い者ほどそうである。

日本は、アメリカという傭兵の武力に依存し、きれいごとの平和憲法を後生大事に守っているにすぎず、
きわめて偽善的な態度である。

この姿勢は、憲法を維持したまま、その解釈を原文からはありえないほど歪め、現実問題への対応
をはかろうとする政策に顕著である。

憲法9条の条文を普通によめば、自衛隊の存在など許されるはずもなく、まして海外への派兵など
出来はしない。

憲法擁護論者も、自衛隊の必要性を心の中では容認せざるをえないため、解釈の恣意性に目をつぶり
口では反対しながらも、徹底的な批判のための実力行使をする者は少数派になりつつある。

自国の安全に必要なことを自国でやらず、他国に依存している国に、真の独立はありえない。

日本がアメリカのいうことを聞かざるを得ず、その植民地的扱いに甘んじざるをえないのは、自国の
安全は自国で守るという国家として当然のことができない片端国家であるからである。

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posted by ドクター国松 at 10:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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