教育委員会は敗戦後アメリカ占領軍により、教育の民主化、自主性を確保する目的で導入されたものであり、政治からの教育の独立を理念としている。
しかし、近年の校内暴力、陰湿ないじめ、いわゆる問題教師など、一連の教育荒廃への各教育委員会の対応を見ると、各地域の教育行政に責任を持つ合議制の執行機関としての自覚と責任感、使命感、主体性に欠け、責任逃れと事なかれ主義に終始しているといわざるを得ない。
大阪市立小5年の女子児童が2019年、いじめを受けたと示唆するメモを残して自殺した問題で、市の第三者委員会は27日、女児が同級生らのいじめを受けていたと認定した上で、自殺に至る要因の一つだったとする調査報告書を市に提出した。「いじめ行為は確認できなかった」とする市教委や学校側の判断を覆した。
教育委員会という組織はいじめ事案があっても、それをできるだけ過小評価し事件化したがらない傾向がある。
2011年の大津いじめ事件では、大津市の教育委員会は、全校アンケートで、自殺の練習を強要されていたとの同級生らの回答を公表せず、いじめと自殺との因果関係は判断できない、と主張した。
2005年、神戸市立の小学5年生だったAさんが同級生13人から、殴る蹴るの暴行を受けたり教科書を破られたりするなどの嫌がらせを受け、さらに約1年間にわたって50万円以上を脅し取られたという事件なおいても、神戸市教育委員会はこれまで一貫して「十分な調査を行えず、いじめがあったかどうか判断ができない」「いじめの調査文書はない」と主張してきた。
しかし、最近MBSが教育委員会が無いと主張してきた資料が教育委員会内部で保管されていたことを発見したことで、教育委員会の嘘と隠蔽が明らかになった。
これらの事例で見る限り、教育委員会とは教育的配慮等のきれいごとを並べ、物事をあいまいにし責任逃れをしたがる組織である。一刻も早く、このような不要な組織を解体することが教育改革の第一歩である。