日本政府の高齢者に対する政策はお粗末の一言につきる。
年金を年々改悪することで高齢者の政府に対する信頼は地に落ちており、自分の身は自分で守る以外に無いとの意識が強く、圧倒的に多い高齢者の保有する金融資産が消費に回ることを妨げており、これが日本経済停滞の一因となっている。
一部には金融資産に税金をかけることで、強制的に消費させようとする極論もあるが、北風と太陽の例にもあるように、強引で反発を招く政策を行っても効果は期待できない。高齢者の消費を拡大する唯一の方法は年金改悪を中止し、高齢者に老後生活についての安心感を与えることである。
孫の教育費や子供の持ち家取得に対する援助に税金優遇を設けても、それに応じるのは多額の相続税が発生するような金持ちだけであり、金融資産の過半を占める3000万円程度の金融資産しかもたない高齢者がそれに応じることは期待できない。
高齢者というと認知症とか、ブレーキとアクセルを間違える等の交通事故とか、マイナスイメージがマスコミ等を通じて強調されている。確かに85歳以上になると55.5%が認知症になるとされているが、65-69歳では2.2%、70-74歳で4.9%、75-80歳で10.9%、80-85歳でも24.4%にすぎず、高齢者として一律に弱者として差別的扱いをするのは日本の現実に即さない。
人口の1/3が65歳以上の高齢者で占められる社会において、高齢者の能力を活用しないのでは、その社会の衰退は約束されたようなものである。
日本社会において高齢者の戦力化で最も障害となっているのが、偏見に基づく高齢者差別である。その典型的な事例が運転免許における高齢者差別である。実質的には全ての年代において10代が最も事故数が多く、70代より20代の方が事故数が多いにもかかわらず、70代以上の運転免許継続に不当な負担をかけている。
高齢者を年齢で一律に見るのは日本社会の欠点であり年齢差別である。
その意味で定年制や役職定年といった制度も廃止すべきである。役職や仕事は年齢ではなく能力によって決定されるべきである。その為には年齢に応じて地位や賃金が上がる年功制度を完全に廃止し、日本企業が最も苦手とする能力の客観的な評価と適材適所への人員配置を実現することが必要となる。
これを個々の企業まかせにするのではなく、政府が中心となって能力評価の客観的なシステム開発と労働者の流動化の環境を整備することがこれからの高齢化時代を乗り切るためには不可欠である。
退職金制度なども企業をまたがって引き継げるようにすることも労働の流動性確保の為には必要である。
年金制度についても、年金を満額受け取りながら働くことができ、さらにその収入から年金保険を支払い、それがまた次年度の年金額に反映されるようにすれば、制度的な安定性も増す。
posted by ドクター国松 at 10:26
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