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2017年05月24日

ヨーロッパでテロが発生するのは必然

イギリス中部マンチェスターのコンサート会場で22日午後10時30分爆弾テロが発生し、警察発表によると、22人が死亡、59人が負傷した。


フランスやドイツ、ベルギー等ヨーロッパではテロ事件が相次いでいる。テロの旅にイスラム国は存在をアピールしているが、別にイスラム国ガヨーロッパのテロの温床というわけではない。


ヨーロッパでテロが多発するのは、ヨーロッパが国民が共有できるアイデンティティーを失っているからにほかならない。


かってヨーロッパはキリスト教、民主主義、資本主義、ヒューマニズムという共通のアイデンティティーを住民全員が共有していた。


ヨーロッパでは人間の平等や人権、ヒューマニズムや博愛、動物愛護、環境第一主義といった理想主義が多くの国民の支持を受けてきた。


その前提としてあったのが豊かなヨーロッパであった。植民地時代に世界から収奪した富により、ヨーロッパでは国は豊かであり、国民もまたその豊かさを享受することが可能であった。


しかし、その前提は失われつつある。グローバル資本主義と理想主義がもたらした大量の移民の存在により、キリスト教的なヨーロッパの価値観は国民共通の価値観ではなくなってしまった。


また、移民流入による失業問題と賃金の二極化により、理想主義的なヨーロッパを支えてきた中産階級は没落しつつあり、建前としての平等よりも本音としての差別の方が、より多く国民を捕えつつある。


中東や貧困ヨーロッパからの移民及びその子供は、日々受ける差別と低賃金による生活苦で社会に大きな不満を抱くことになる。


一方でネイティブのヨーロッパ人は移民のせいで仕事を失うか低賃金労働に甘んじざるをえない現状に大きな不満を抱いている。


ヨーロッパでは社会が経済的にも宗教的にも分裂しており、その差はますます拡大する方向に動いている。この状態が続いている限り国民の不満は増加し続け、海外からではなく国内からテロリストを輩出し続けることになる。



posted by ドクター国松 at 10:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | EU | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

中国に仕事に行くなら逮捕されることも覚悟していないと


中国でスパイ行為に関わったとして日本人6人が拘束された。内4人は中国企業からの依頼で現地入りした千葉県船橋市の地質調査会社の社員であることが明らかになった

4人は中国での仕事経験があるが、中国語は話せないという。

拘束された日本人男性らが中国の軍事情報を調査していた可能性は低く、実態とは無関係に「スパイ摘発」を乱発して国内の求心力を高めようとする習近平指導部の政治的意図が浮かぶ。

このように中国という国ではその時の政府の都合や日中関係の状態により、何の違法行為もしていなくても突然に逮捕されることは十分にありうる。

国民も企業も中国は日本にとって仮想敵国であることを常に念頭において行動する必要がある。

同じ金儲けをするのなら、わざわざ仮想敵機である中国を相手にしなくても他にいくらでも国はある。

posted by ドクター国松 at 09:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

日本は老朽化し制度疲労して役に立たない国連に費やす予算を削減し、もっと日本に必要なところに回すべき。

北朝鮮の弾道ミサイル発射を受け、日本、米国、韓国の3か国は21日午後(日本時間22日未明)、国連安全保障理事会に緊急会合の開催を要請した。

しかし、結局のところ国連での議論が何の結果ももたらさないことは周知の事実である。

近年地域的紛争であっても、常任理事国の意見が分かれることが多く、拒否権の発動やその懸念により、実質的に国連が何の役にもたたないという事実が顕在化している。

北朝鮮のミサイル発射や核実験の都度、国連では何らかの非難声明はだされるが、北朝鮮の核ミサイル開発は何の影響もうけず着実に前進している。

国連など何の役にもたたない、というのが実感である。

その国連に対し、日本はアメリカに次ぐ世界第二位の拠出金を支払い続けている。実にバカげた話である。

いまだに敵国条項を廃止せず、日本を潜在敵国とみなす国連に対し多額拠出金をは支払う必要はない。
少なくても常任理事国でない日本は常任理事国以下の拠出金で十分である。

日本では少子化解消や防衛面でいくらでも予算は必要である。何の役にもたたない国連に対し分不相応な拠出をする金があれば、もっと必要な分野に使用すべきである。






posted by ドクター国松 at 10:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 外交・軍事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月19日

世界に冠たる自殺大国日本、絶対数は減少したが年金生活者の自殺は増加中

厚生労働省は世界各国の自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)を比較し、日本はワースト6位だとする分析結果をまとめた。先進国で最悪レベルである。

警察庁の自殺統計によると、16年の自殺者数は2万1897人(男性1万5121人、女性6776人)で、03年の3万4427人をピークに減少傾向が続いている。しかし、自殺が最も多い中高年の男性に比べて若年層は減り幅が小さく、白書は「20〜30代の自殺死亡率を低下させることが課題」と分析している。

しかし、ここでは視点から漏れているが、全世代に渡り自殺者数が減少している中で自殺者数が増加している層があることを忘れてはいけない。

それは年金・雇用保険等生活者である。平成19年と27年を比較すると専業主婦を含む無職者全体では自殺者は18090人から14322人まで大きく減少したが、年金・雇用保険等生活者に限定すれば自殺者数は4982人から6267人にむしろ増加している。

政府による「年金や健康保険等の社会保険改悪と増税等の国民負担増加政策」が年金受給者の生活を圧迫していることがうかがえる。

今後さらに年金生活者が増加する一方で、年金等の社会保障改悪や増税が予定されていることから、自殺者数減少傾向は鈍化し日本の自殺率はさらに悪化することが見込まれる。

posted by ドクター国松 at 10:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月18日

高樹沙耶の手記に見る、逮捕されただけで有罪が確定していないのに、当然のごとく人権無視する日本の司法

疑わしきは罰せずとか、というのが刑事裁判における原則であり、何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される、という、近代法の基本原則である。

しかし、日本ではこのような原則は全く無視されている。

冤罪可能性があっても逮捕されただけでマスコミは大騒ぎし、被告人の人権は全く顧みられず無視されるというのは良く見る光景である。

逮捕された段階では、当然推定無罪という基本原則に準拠すべきだが、日本ではそのような原則は当局により一顧だにされない。

高樹沙耶の手記で逮捕されればどうなるかを見てみると次のような人権を全く無視した扱いを受ける。

「夜の8時ごろ、取り調べが終わると、乗用車で沖縄署に向かい、留置場に入れられました。まず、着ていたTシャツ、短パン、下着も全部脱ぎ、全裸になって前かがみにさせられた。お尻になにかを隠してないかを調べる検査です。屈辱的なものでした。

そのあと、作業服のようなものに着替えさせられ、留置係の警察官に「あなたは今日から、8番と呼ばれます」と告げられた。」


「逮捕から3日後、裁判所が勾留決定をし、私は沖縄刑務所那覇拘置支所に移ることになりました。 ここでも、最初に全裸になって身体検査を受けた。」


留置所であれ拘置所であれ、まだ裁判で有罪が確定していないのだから当然無罪と推定すべきである。高木沙耶の場合は有罪だが、この段階ではまだ多くの無罪の人間も含まれている。


何の罪を犯していなくても、警察や検察に犯罪を犯していると見做されただけで、意思に反し全裸にされ尻の穴を覘かれるというような屈辱的な人権無視の扱いを受けるのである。


このような当局の野蛮な人権無視の行動が問題視されていないこと自体が不思議であり、日本という国の人権意識の低さを象徴している。


本来、まだ犯罪者と確定していない人間を拘束すること自体問題だが、百歩譲って逃走を防ぐ為だとしても、有罪判決がでるまでは移動の自由が無い以外はホテル程度の居住環境とすべきである。


本人の意思を無視し全裸で検査したり、名前でなく番号で呼ぶなどという人権無視は被告人の段階では許されるべきではない。


この留置所や拘置所の劣悪な環境と人権無視も自白強制による冤罪の温床となっていることは間違いない。








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posted by ドクター国松 at 10:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月17日

どんなに人手不足でも賃金は上がらない。日本企業の競争力の無さ

経済学の教科書には、人手不足になれば、労働市場の価格メカニズムにしたがって、賃金に上昇傾向が生まれると、きまって記されている。しかし、日本の現実は、教科書の指摘とはおよそほど遠い。深刻な人手不足なのに、いつまでも賃金が上がらないことが問題視されている。


しかし、日本の現状を鑑みれば賃金が上がらないのはむしろ当然と言える。


経済学では価格が需要と供給で決定されるとされているが、この前提には価格が自由に変更でき、価格が上昇すれば需要が減り供給が増え、価格が低下すれば需要が増加し供給が減少する、というように価格、需要、供給が自由に変動することを暗黙の了解としている。


しかし、現実の日本経済では労働者の絶対数は不足しているが賃金が上がったからといって労働力が増やせる状況にはない。一方日本企業の商品やサービスは付加価値の低いものが多く利益率も低い為、原価としての人件費を上げる余力は少ない。


バブル崩壊後の長期不況の後、日本企業がなんとか立ち直ってきたのは、画期的な製品やサービスを開発したからではなく、非正規化による賃金の下落や過度な円高からの脱却により価格競争力が増したからにほかならない。


1980年代と異なり、日本の製品と他のアジア諸国の製品との格差は縮小しており、日本の優位さは価格の割に性能が少し良いという程度に留まっている。


製品やサービスの絶対的な優位が無いため、どんなに人手不足になっても大幅な賃上げをする余力はない。これを受け安倍政権は女性活躍社会を標榜し、女性を家庭から追い出し低賃金労働者として労働市場に送り出す政策を推進している。また、年金の開始年齢を繰下げその間低賃金労働者として再雇用するのもその政策の一環である。


団塊世代の大量退職と少子化による労働人口の減少が人手不足を招いているが、日本企業に賃上げ余地は無く、立場の弱く組織化されていない派遣社員やパート等の非正規労働者は、企業との交渉能力がなく、人手不足という追い風があっても、賃上げを勝ち取ることはできない。


日本企業が、製品やサービスの優越性ではなく、非正規社員という、いつでも解雇できる低賃金労働者による価格競争力に頼っている限り、どんなに人手不足になっても賃金を上げる余裕はない。












posted by ドクター国松 at 11:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 経済成長の実現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月16日

私がオーストラリアの牛肉は食べても、アメリカの牛肉は食べない理由

最近スーパーの肉売場を覘くとアメリカ牛が目立つ。価格的にもオーストラリアの肉よりアメリカの肉の方が安い場合が多い。

しかし、私はアメリカ牛を買う気にはなれない。狂牛病等に関してはアメリカ牛により多くのリスクを感じざるをえないからである。

別に、アメリカ牛の方がオーストラリア牛よりリスクが高いと考える客観的な理由があるわけではない。アメリカとオーストラリアの牛肉の生産過程には無知だから比較はできない。

私がアメリカ牛により大きなリスクを感じるのは、日本政府がオーストラリアには正当な要求ができてもアメリカには遠慮して正当な要求ができないからにすぎない。

防衛をアメリカに依存し、実質的にはアメリカの半植民地である日本政府はアメリカ政府には、例え正当なことであっても、その主張を貫くことができない。

例えば1975年に農水省は米国から輸入されたレモンに日本では禁止されている防カビ剤を大量に検出し廃棄したが、これを知ったアメリカ政府の要求により防カビ剤を解禁せざるをえなかった。

トランプ政権になってからもアメリカは日本では食品への使用が認められていないアルミノケイ酸ナトリウム(固結防止剤)、ケイ酸カルシウムアルミニウム(固結防止剤)、カルミン(着色料)、酸性リン酸アルミニウムナトリウム(膨張剤)の4品目を食品添加物と早急に認めるように要求してきている。

アルミニウムについては、生殖系および神経発達に影響を与えること、水腎症など泌尿器病変などの悪影響も判明し、アルツハイマー病の関連も完全に否定されたわけではない。それにもかかわらず、安倍政権はアルミニウムを含有する4品目を新たに食品添加物に指定しようとしている。(Business Journal 米国に「薬品漬け」にされる日本…危険な添加物混入の食品を続々輸入解禁 から抜粋 )

このように日本政府はアメリカ政府の意向には逆らえない。牛肉に対してはアメリカ側の要請により当初基準よりは大幅に緩和されている。

日本が厳正に対応できるオーストラリアの牛肉とアメリカ政府の顔を覗わざるを得ないアメリカの牛肉のどちらを選ぶべきか考えた場合、私は躊躇なくオーストラリアの牛肉を選ぶ。

勿論お金に余裕があれば国産牛を選ぶことは言うまでもない。

posted by ドクター国松 at 10:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 安全安心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月15日

憲法改正に教育費無償化を持ち出す安倍首相と大阪維新のいかがわしさ

私は憲法改正派のはしくれであるが、今回の安倍首相や大阪維新の憲法改正論議にはいかがわしさを感じざるをえない。

その理由は憲法改正の理由に教育無償化を持ち出していることである。多くの識者が指摘しているように教育無償化を実現するのに憲法改正は全く必要ない。

安倍首相も大阪維新の会も、憲法改正のような国民生活に甚大な影響を与える事項を検討する時は、誠実な態度で真摯に対応すべきである。

憲法改正のターゲットが憲法9条であるなら、あくまでも憲法9条改正の必要性について国民に説明し、その上で憲法改正を図るべきである。

憲法がアメリカの占領軍によって押し付けられたとかいう成立経緯などは何の関係もない。今日本の基本的な社会規範である憲法のどこが問題で、どう改善すべきか真摯に国民に説明し判断を仰ぐべきである。

国民の関心を引きそうな教育無償化やオリンピックを持ち出して、国民をごまかし、どさくさに紛れて憲法改正を行おうというような姿勢は決して容認できない。
posted by ドクター国松 at 10:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 憲法改正 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月12日

小泉信次郎のような前途有望な青年にすら、人口減少と縮小経済を不可避と思わせた自民党・官僚政治の罪は大きい

社会保障に関する提言の中で小泉信次郎氏は、人口減少を前提に、経済社会システムを抜本的に見直す事が必要だと書いている。

しかし、人口減少社会に明るい希望を抱けている国民は少数派であることは否定できない。

年金生活者は年々減少する年金と増加する税金と国民負担の増加で、年々生活が苦しくなっていくことに怯え、中年現役層は役職定年や賃上げ抑制で収入が増えないだけでなく、年金支給年令の繰下げ年金額の減少で老後生活の目途がたたないことに大きな不安を感じている。また、若者も負担だけが増え自分は恩恵にあずかれないかもしれない年金や社会保障制度への不信、日本経済の停滞と非正規社員の増加で増えない賃金等に直面し日本の未来に明るい希望を抱けていない。

これらは少子高齢化が進行することでますます悪化する。

少子化で人口が減ることを是とするのは、「日本の問題は人口が多すぎることだ」と刷り込まれてきた80代以上の老人だけである。

確かに人口だけ見れば、日本の人口は半分になってもやっていける。

但し、その前提は人口構造がピラミッド型であるということだ。人口減少社会の問題点は逆ピラミッド型であり、労働人口が少なくなり大勢の非労働人口を抱えるということである。

そして、そんな社会は決して豊かで幸せな社会とはなりえない。

日本にとっては何としても人口を急速に増加させ、短期間で人口減少社会を通過することが必要である。政府はそれを国民に理解させ、役にたたない防衛費やその他の予算を流用して重点的に少子化対策を実施することに国民的コンセンサスを得る必要がある。

こうなることはわかっていたにもかかわらず、何の手もうたず少子高齢化を悪化させた自民党・官僚政府の罪は万死に値するが、何の責任も感じていない。

このまま官僚と自民党に日本の国家運営を任せていれば、50年後人口が9000万人を切るころには日本はアジアの最貧国の仲間入りをしていることだろう。






posted by ドクター国松 at 10:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月11日

小泉信次郎氏の社会保障改革には概ね賛成できる。但し、こども保険はいただけない。

小泉信次郎氏が「人生100年時代の社会保障」について提言している。その内容は大きく次の三つからなる。http://shinjiro.info/20161026message.pdf

一つは「勤労者皆社会保険制度の創設」である。
 現在の企業の社会保険は正規雇用のみを対象にしており、一定の所得・勤務時間に満たない勤労者は、企業の厚生年金や健康保険に加入できず、十分なセーフティーネットの対象になっていないことを問題として指摘し、いかなる雇用形態であっても、企業で働く方は全員、社会保険に加入できるようにして、充実した社会保障を受けられるようにすべきだ、としている。

この点には全く同意見である。加えて言えば商店主のような自営業者についても同じ年金・健康保険制度に加入できるようにすべきである。

二つは「年金受給開始年齢の柔軟化である。
 現在の制度は定年を越えて働く高齢者は少ないと想定してきたため、一定年齢を超えると保険料が納付出来なくなったり、働きながら年金を受給すると年金が減額されたりする仕組みになっている。これでは、働き方改革が進展しても、年金制度が障害となって、働く意思や能力のある高齢者の就労を阻害してしまう恐れがある。と指摘し、年金制度は「長く働くほど得をする仕組み」へと改革すべきだと主張している。

年金受給開始年齢はより柔軟に選択できるようにする。年金保険料はいつまでも納付できるようにする。働くと年金が減額される仕組みは廃止する。と提案している。

厚生労働省や財務省にかかると、開始年齢の柔軟化イコール開始年齢の引上げであるが、小泉氏の提案については文字通り柔軟化と解釈しておこう。元気な高齢者が増加し、一方で労働力が不足している実情を考えれば、高齢者が働く意欲を持て、働いても損にならない年金制度にすることは絶対に必要である。

三つめは「自助を促す自己負担割合の設定」である。
 高齢化の進行で医療介護費用が一層高額化していく中で医療介護制度の持続可能性を確保するためには、「病気になってから治療する」だけでなく、そもそも「病気にならないようにする」自助努力を支援していく必要がある、と指摘し、健康維持に取り組んできた方が病気になった場合は、自己負担を低くすることで、自助を促すインセンティブを強化すべきだとして威厳している。

また、現行制度では、自助で対応できる軽微なリスクも、大きな疾病リスクも、同じように支援している。、湿布薬やうがい薬も公的保険の対象であり、自分で買うと全額負担、病院でもらうと3割負担だ。こうした軽微なリスクは自助で対応してもらうべきであり、公的保険の範囲を見直すべきだとも主張している。

健康維持に取り組んできたか否かを客観的に判断するのに何を基準とするか、また基準ができたとしても私生活への干渉とプライバシーの侵害を伴うことから、これについて国民の理解を得ることは難しそうである。

また、軽微な負担を全額自己負担とすることで、かえって病気を重症化するリスクがあり、これは予防を重視する姿勢とは矛盾しそうである。

むしろ終末期の医療に多額の費用がかかっていることを鑑み、安楽死を容認し、本人や親族の意思に反する過剰な医療を排除すべきであり、さらに快癒見込みが無く生命活動を維持するだけの治療は原則として廃止し、家族が希望する場合は全額保険対象外とすべきである。

また、この提言では「我々が忘れてはならないことは、仮に出生率が人口水準を維持するために必要な2.07 まで上がっても、人口減少は不可避であるという事実である。毎年人口が減り続けることを嘆いても、明るい未来は切り開けない。人口減少を前提に、経済社会システムを抜本的に見直すことで、人口減少をチャンスととらえ日本の強みに変えていくことが必要だ、とも書いている。

しかし、この主張には私は反対である。人口減少しながら日本が発展することはありえにない。政府は何としても人口を増加させる政策をとるべきである。

この点で小泉氏の提案している「こども保険」は適切ではない。子供が増えれば、何もしない場合に比べ将来の税収は増加する。とすれば少子化対策の費用は国債で賄うのが本来である。保険で調達した資金が官僚により湯水のように浪費されたことを忘れてはならない。借金であれば実際に少子化を克服できず、担税能力のある大人に育てることが゛できなければ国家は借金を返済できない。資金の無駄遣いは許されない。

この意味で少子化対策は保険ではなく返済財源を新しい世代の負担する税金とする借金で賄うべきである。

また、財源が無いと言っているが、少子化対策は北朝鮮の国家予算以上の税金を使いながら、それに単独で対抗できない安全保障予算よりはるかに重要であり、その分を流用すれば済む話である。

posted by ドクター国松 at 10:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の将来 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月10日

反日が大統領選の共通認識になる韓国という隣国に如何に対処すべきか。

現在日本は、近所におかしな困った隣人が住み日々難癖をつけられて困っている住民と同じ状況にある。

お前のおじいさんが、俺のおじいさんに不当な行為をした。だから、お前は毎日俺に謝罪しろと言われているようなものである。しかも時代が下る度におじいさんがしたという犯罪は誇張されていく。

とっくに謝罪し、その分多額の援助もしてきたと言っても、相手はそのことはすっかり忘れ、孫に謝罪を強制しつづける。

これが韓国や中国が日本にしていることである。もう戦時中の記憶を持っている者などほとんど残っていないが、誇張した反日教育を繰り返すことで、日本人がしたとされる非道な行為は年を追うごとに誇張され、反日的な感情を抱く人口が再生産され増え続けている。

これは安全保障上日本人は軽視してはならない。中国や韓国のドラマを見たことのある者なら気づくことだが、日本のドラマとは違い中国や韓国のドラマでは一旦悪人と認定された者に対しては何をしても許されるのである。

正に反日無罪の国である。

通常隣国とは仲良くするべき、というのが善良な常識人の考えである。しかし。最初から敵意を持った隣人に対し相手の主張を丸呑みにして追従しても友情は生まれない。

中国については、経済的には補完関係にあるが、政治体制が異なり領土対立が先鋭化しており、仮想敵であることには日本国内でもほぼ共通の認識がある。

一方、韓国については同盟国として位置づけられている。しかし、日本に対する主張は本来の仮想敵である中国以上に辛辣である。

今回の大統領選挙においても候補者は全員反日政策を唱え、その内尤も反日的な候補者が大統領に当選した。

この国を同盟国として遇することはふさわしくないだけでなく危険ですらある。内に潜む的は常に外にある明確な敵より危険なものである。

日本の政治家も経済人も一般国民も韓国は日本を脅かす敵の一人であることを認識すべきである。反日韓国の発展は日本の不利益であり、韓国の衰退が日本の利益であることを認識すべきである。

韓国は日本の対中戦略や耐北朝鮮戦略においては何の役にもたたないし、韓国企業は日本企業にとってはライバルであり、日本経済にとって韓国は7%程度を占める輸出相手だが別に無くてもそれほど大きな悪影響はない。

日本を取り巻く隣国の内、中国・韓国に対しては過去日本は技術移転、インフラ投資、援助等を通じ経済発展に助力してきたが、今後は中国や韓国の経済発展に寄与するような投資や政策は避けるべきである。

反日教育を止めない限り、韓国は日本にとって信頼できる隣国にはなりえない。


posted by ドクター国松 at 10:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月09日

官庁からの情報不開示が妥当か否かについては事前審査が必要、

森友学園の籠池泰典前理事長が取得要望書類として提出した小学校の設立趣意書に、開設予定の校名として「安倍晋三記念小学校」と記載したことを朝日新聞の取材に認めたことをうけ、民進党の福島伸享氏が財務省に当該書類の提出を求めたが、財務相が開示した資料では、設立趣意書のタイトルのほか、内容が記された部分が黒塗りだった。


福島氏が黒塗りの理由の説明を求めたのに対し、財務省の佐川宣寿理財局長は「学校の運営方針に関わることなので、情報公開法の不開示情報になっている」と答弁した。


このように、官庁に対し情報公開をせまっても黒塗りで中身の読めない資料でお茶を濁されるケースが散見される。


情報公開法の不開示情報としては

・特定の個人を識別できる情報(個人情報)

・法人の正当な利益を害する情報(法人情報)

・国の安全、諸外国との信頼関係等を害する情報(国家安全情報)

・公共の安全、秩序維持に支障を及ぼす情報(公共安全情報)

・審議・検討等に関する情報で、意思決定の中立性等を不当に害する、不当に国民の間に混乱を 生じさせるおそれがある情報(審議検討等情報)

・行政機関又は独立行政法人等の事務・事業の適正な遂行に支障を及ぼす情報(事務事業情報)

等があげられているが、これを判断するのは当該官庁であり、第三者のチェックが働かない為、実質的に情報公開するか否かは官庁の都合で左右される。


特定秘密保護法もそうだが、官庁の都合だけで判断し情報を秘匿することは国民主権の民主政治を揺るがす重大な欠点である。


国会議員から選出される委員会でも裁判官から選任される組織でもいいが、官庁が情報を不公開とする場合は、その理由が法律に寺師妥当か否かを事前に判断する第三者機関として設置することが官僚独裁を排除し政治を国民に取り戻すには不可欠である。




posted by ドクター国松 at 10:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 官僚政治からの脱却 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月08日

憲法9条は改正すべきだが、戦前の価値観は復活させるべきではない。

安倍晋三首相は3日、憲法改正を求める集会にビデオメッセージを寄せ、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と表明した。首相は改正項目として憲法9条をあげている。

この点については私も安倍首相と同意見である。

日本国憲法が制定された時点とは日本を取り巻く世界情勢は大きく変化しており、軍事力の保有なしには日本の平和が維持できなくなっていることは既に多くの国民も理解しつつある。

リスク管理に対して少しでも知識がある者であれば、憲法の理想的な精神に則り、自国の平和を他国の理性と善意に委ねることがどれほど無謀なことかは、明らかである。

憲法が軍隊の保有を禁じているにもかかわらず、なし崩し的に憲法条文を無視し自衛隊を設立増強してきたのは、為政者がこの事実を理解していたからであり、国民がそれを黙認してきたのも、単なる無知ではなく、心の底では武力なしの平和が実効性のない単なる理想主義にすぎないことを理解していたからである。

私は国民の多くが軍田としての自衛隊を容認していると確信している。もし憲法9条を文字通り解釈し、自衛隊を解散し非武装になり日本の平和を中国や韓国に依存するか国民投票すれば100%解散に反対する方が勝つだろう。

憲法9条の理想はそれなりに立派なものだが、実際のところ日本は軍隊としての自衛隊を保有している上に、その平和はアメリカの核軍事力に依存しており、その実は形骸化している。

その結果、現在の憲法は文字通り解釈できず、時の政府の都合でどうとでも解釈できるものに成り下がっている。実質的な自衛隊の存在が必要であるなら憲法にそれを明文化することで、憲法そのものを文言を無視した勝手な解釈から解放し、再び成分憲法としての実を取り戻すことができる。

一方で安倍首相も所属する日本会議は憲法9条改正だけでなく、戦前の価値観を復興しようと狙っている。

彼らの中では憲法9条の改正と戦前回帰が一体のものと理解されているようである。しかし、この両者は全く異なる。

憲法9条の改正はリスク管理の問題であり、それは戦前の体制とは何の関係もない。多くの民主主義国家も軍隊を保有している。

しかし、戦前の価値観は江戸時代の封建制、早急に統一する為に採用された天皇神格化、海外に効率的に追いつく為の官僚制等の入り混じった歪曲性と特殊性を有するいびつな価値観や体制であり、汎用性を有するものではない。

憲法改正は、現在の社会的価値観を維持しながら9条のみを改正するものであるべきであり、歪んだ戦前の価値観を復活させるものであってはならない。





posted by ドクター国松 at 10:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 憲法改正 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月02日

東大法学部卒の優秀な官僚には何故国民に寄り添った行政ができないか。

失言で大臣を首になった今村氏は東大法学部の出身である。官僚出身ではないが当時官庁と同様の地位を占めていた国鉄に入社しているので、実質的には東大法学部、キャリア官僚といったコースを歩む官僚と大差ないエリートであったことがわかる。

しかし、復興大臣になった後の数々の失言は日本を代表するエリートとは思えない愚挙であった。

だが、日本を代表するエリートである東大法学部出身者がバカな行動をするのは何も今村氏の専売特許ではない。

東大法学部出身者が幹部の多くを占める日本の官庁が作成した政策には実態と合わないおかしいものが散見される。

ほとんど役にたたない法律や使えない補助金制度が横行するのはその一例である。

これには原因がある。東大法学部出身者の多くは、記憶力、注意力、判断力、洞察力、分析力、問題解決能力等々、一般に能力として高く評価される項目の多くで間違いなく国民の平均水準を大きく上回っている。

しかし、想像力、コミュニケーション力、共感力等では必ずしも一般国民の水準を上回っているわけではない。

東大法学部出身者の多くは、裕福な過程に育ち、小学校から大学まで優秀だと褒められつづけ、挫折した経験がない者が少なくない。

彼らには貧困者や弱者、頭の悪い一般国民のことは良く理解できないのである。だから、彼らの作る法律には弱者への配慮が欠けていることが多い。

また、彼らは頭のよすぎる欠点がある。法律を作る時に彼らがこだわるのは抜け道を防ぐことである。例えばベンチャー支援策を作った時には、ベンチャーでない企業がその恩恵を受けることを防止することに拘る。その結果、重箱の隅をつつくように対象となるベンチャーや事業の定義を細かく設定し、少しでもそこからはずれたら対象外にできるようにしてしまう、その結果申請手続きが複雑になり、結局手間がかかりすぎて申請する企業が少なくなり、当初の目的が達成できなくなることも多い。

日本のエリート官僚は学校卒業後狭い官僚の世界だけの経験しかない為、社会を観念的に理解し実態を理解できていないことが多く、その意味でいろんな分野の経験をしてから政府高官の地位につくことが多いアメリカ等のエリートと比較し視野が狭い。



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2017年05月01日

プレミアムフライデーという現場を知らない官僚の発想

経済産業省は昨年12月12日、「プレミアムフライデー」の推進協議会を設立し、今年の2月24日金曜日に初めて開催された。

米国の年末商戦「ブラックフライデー(黒字の金曜日)」を参考に、月末の金曜日に仕事を早く終えることで消費を喚起する目的で経産省と業界団体が考案した。

開催日には参加団体が企業に対し、午後3時をめどに社員を退社させるよう呼び掛け、思い出や体験といった「コト」を商品として提供する企業の活動を後押しし、個人消費の拡大につなげるという狙いである。

しかし、3月は年度末で1年で最も忙しい日に該当し、4月はGW前の最終営業日がプレミアムフライデーにあたるということで多くの企業で3時退社は絶望的であった。

月に1日早帰りの日を設定するとして何故月末の金曜日になるのだろうか。会社勤務の実態を知っている者なら絶対に選ばない日である。

年末のブラックフライデーを参考にしたことから、あまり良く考えずに月末の金曜日にしたというのが真相ではないだろうか。

日本の官僚は頭はいいが世間知らずであり、庶民の実情など知ろうともせず、観念的に頭の中だけで考え政策を立案し失敗することが多いが、プレミアムフライデーなどもその典型である。

また同時に業界団体幹部も参加しているということは、日本のサラリーマン経営者の老人達はあまりに長く現場を離れ、自分の会社の実態さえ把握できていないという現実をも示している。





posted by ドクター国松 at 11:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 官僚政治からの脱却 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする